興趣 赴くところ 須磨彌吉郎

ちあきは 毎週土曜日の23時45分から放映されている「ミューズの微笑み」という

こころざし先鋭 マニアックにして実験的なNHK教育の30分番組で

つい2週間ほど前に 謎にみちみちた須磨彌吉郎を はじめて知りました。


須磨彌吉郎

須磨 彌吉郎(すま やきちろう、1892年(明治25年)9月9日 - 1970年(昭和45年)4月30日)は日本の外交官。
スペイン特命全権公使・衆議院議員。1965年、「勲二等旭日重光章」受章。



秋田県秋田市生まれ。旧制秋田中学校卒業後、
広島師範学校に進学しましたが、
何故か一転して法律家を志し、中央大学法学部に転学。
卒業後、1919年に外務省入省しました。

外国語6カ国語に堪能でイギリス、ドイツ等の在外公館に勤務を経て、
1927年、在中国大使館二等書記官として赴任しました。
在広東領事館領事等を経て、1932年、在上海日本公使館情報部長となり、
対蒋介石政権の情報収集に努め、その後、南京総領事に転じました。


この中国での諜報活動の経験から、
情報の一元管理と総合判断の必要性を痛感、
帰国後、同じ考えを抱いていた山本五十六海軍次官とともに奔走し、
1937年、対外情報収集と対外広報を目的にしたに内閣情報部を設立。
その後、1939年、満州国在勤となり満州国外務局情報部長を務めました。


日米交渉の行き詰まりにより、開戦は必至の情勢となる中、
須磨彌吉郎は、親枢軸的なスペインを拠点に
アメリカの情報を収集することを構想し、
1940年12月、「東機関」を開設、
その指揮のため自ら駐スペイン特命全権公使として赴任しました。

1941年12月8日の真珠湾攻撃から始まる対米開戦後、
日本は、アメリカ大陸の在外公館を次々と閉鎖させられ、
情報収集に著しい支障が出ていたなか、
「東機関」は、欧米の主要拠点に情報部員を送り込み、
諜報戦で多くの成果を挙げました。

1943年時点で、アメリカの原爆開発まで押さえており、
また太平洋戦争で激戦となったガダルカナル戦の最中、
サンディエゴから現地に向かう船の数まで把握し報告していたが、
こうした情報は、日本政府・軍部に活用されることはついになかった。

1944年半
アメリカは対日暗号解読に成功して
マドリッドからの「東機関」による情報を全て把握、「東機関」は壊滅した。

戦後は、こうした諜報活動の成果が米国に警戒され、
A級戦犯容疑で逮捕・拘留される。
その後、1948年に不起訴処分で釈放。
公職追放解除後、1953年、第26回衆議院議員総選挙に
改進党公認で立候補し当選。1958年まで2期務めた。


須磨彌吉郎はスペイン公使業務の一方で、
後年「須磨コレクション」と称されている
敗戦までの5年間に2000点に上るスペイン絵画群を購入しています。

この「須磨コレクション」のその目的や資金原資に関しては謎だらけです。

須磨彌吉郎が1948年 A級戦犯容疑の不起訴処分釈放後、
スペイン現地に残し接収された絵画群の 返還折衝請願の末、
スペイン政府から、収集品の一部が返還され、
これらが「須磨コレクション」と呼ばれるようになりました。

更にこの「須磨コレクション」の一部は、1970年全国巡回の後
その死の10日前 4月20日に
須磨彌吉郎から、78点が長崎県に寄贈され、
長崎県立美術博物館を経て、現在長崎県美術館に所蔵・展示されています。


(本稿は ウィキペディアの記事をベースに
「ミューズの微笑み」番組の知見から再構築されております。 文責 ちあき)



須磨彌吉郎












以下は長崎県美術館所蔵作品の解説文からの引用です。


須磨コレクションを築いた須磨彌吉郎の肖像画である。
制作年から察するに、ここに描かれているのは49歳頃の須磨で、
特命全権公使としてスペインに赴任して1年経つか経たないかといった時期だろう。
刀と鞘を手にした着物姿の須磨は恰幅のよい体格、威風堂々とした面持ちで、当人の特徴を的確に捉えている。
向かって右下の床に置かれた書物のタイトルは「日本はどこへ(Donde esta el Japon)」、
そして筆者は「須磨彌吉郎(YAKICHIRO SUMA)」と記されており、
須磨がスペインで出版した著作物ではないかと考えられる。須磨が英文で執筆、刊行した『Where Japan Stands』との関連についても今後解明する必要があるだろう。

本作品はバスケス・ディアスと須磨の関係を物語る上で
重要な作品であるが、
バスケス・ディアスにとっても代表作のひとつである。
1941年に開催された全国美術展をはじめ、翌年バルセロナで開かれた「芸術(ARTE)」、ベルリンやヴェネチアで開かれた展覧会にも出品していたという経緯からもそれがもうかがえるだろう。
着物の襞部分の描き方はキュビスムから発展したものであり、
人物をバランスよく配した計算された画面構成もまた彼の特徴である。
ここに描かれている須磨は剣舞を舞う姿に扮したものだろうか。
長きにわたる海外生活の中で、日本人であること、
日本から来ていることを誇りにしていた須磨らしい肖像といえるだろう。


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