SPEC~天~ と ファティマの預言 と 「サンタクロース」監視下の 人類の核戦争

update 古代核戦争の痕跡 関連改訂 追記 2012.11.27  15:30) 


4月に観た 映画「劇場版SPEC~天~」の冒頭 「ファティマの預言」のアナウンスとその文書のスクロール映像がありましたが、これには困惑してしまいました。

「ファティマの預言」がもたらされた、
史実と異なる日付 1917年7月17日。



 我々人類は



その預言の刻(とき)を迎えた。



きっと堤ワールド炸裂の宣言でしょ。これは。

更に

 堤ワールド炸裂の 事 が終った未来の「誰もいない砂浜」で、正汽雅(まさき みやび)が一人、過去(スペックホルダーたちの暴走が始まったとされる AUGUST 30 2012 )から 託された野々村光太郎の手紙(ナレーションがかぶる)を読んでいた日付は NOVEMBER 3 2014 でした。



ちあき が 知る「ファティマの第3の預言(秘密)」とは、内容的に異なる堤・西荻ファティマ預言の、絵画映像とナレーションのあと、( NOVEMBER 3 2014 )、野々村からの手紙を読んでいる正汽雅の背後の「誰もいない砂浜」には、朽ち果てた国会議事堂が、そしてスカイツリーの残骸が砂に埋もれている 荒涼たる光景(ちあきは" 猿の惑星"のラストを想起しました)を 2012年 原発存廃の岐路に立つ 今の 私たち観客
----ちあき に 見せつけます。


エンドロールの間から これは何なの!? と 考えこんでしまったのでした。


つまり 乞う!ご期待の 次回作”SPEC欠(結)"公開までは お預けになってしまった ”朽ち果てた国会議事堂やスカイツリーの残骸が砂に埋もれてしまっている 荒涼たる光景”を 齎した 事の内容 に連携リンケージする堤・西荻ファティマ預言 とは?と 考えこんでしまったのでした。



SEPTEMBER 11 2012

瀬文・当麻がいる病院の屋上に現れた”例えば 世界”と自称する、全身白ずくめの青年(ファティマ第三の預言に出てくる白い衣服をまとった教皇に擬せられますが、堤・西荻ファティマ預言の世界ではミステリアスな謎の存在です)は、4人のニノマエのクローンを簡単に消去して、麦わら帽子をかぶってかき氷を食べている4歳くらいの女の子(潤)と「さて、行きますか」と去ってしまいます。

*

静止している瀬文のそばで、
静止している当麻が、
右手を添えて、
その左手を、
見つめている。

当麻がそろりと動きだし、口元に謎めいた微笑みを浮かべた。

*

このシーンの後、下掲する堤・西荻ファティマ預言(出所:ノベライズ)の絵画映像が ナレーションとともに スクロールします。


あの二つの啓示のあと、わたしたちはマリア様のそばに、
左手に火の剣を持った天使がいるのを見ました。

その剣はみるみるうちに火花を散らして燃え盛り、
まるで世界を焼き滅ぼそうとしているかのように見えました。

「みなのもの、悔い改めなさい!」天使は大声で叫びました。

ところが、マリア様の右手が美しく光り輝くと、
火の剣の炎は消えてしまったのです。
そして、わたしたちは、マリア様の光の中に、第三の神の啓示を見たのです。

白い衣服をまとった一人の教皇とともに、幾人もの司教や司祭たちが
険しい山を登っていく様子が見えました。

その山の頂上には、
粗末なコルクの丸太で組まれた大きな十字架が立っていました。

やがて教皇たちが山の頂上に到着し、
大きな十字架の元で祈りを捧げようとしたその時のことです。

突然兵士の一団がやって来て、教皇たちを次々に撃ち殺していったのです。

それはそれは恐ろしい光景でした。

そして殉教者たちの血を、天使が水晶の聖水入れにすくい入れ、
神に向かう霊魂に注ぐ様子が見えました。


*


( NOVEMBER 3 2014 ) 正汽雅は砂浜に座り、野々村からの手紙(出所:ノベライズ)を読み続けています。その目には涙が光っています。




雅1



『雅ちゃん

この手紙が君の目に触れたということは、私はすでにこの世にいないということだ。
もしかしたら、当麻君も瀬文君も、すでに、この世にはいないかもしれない。

君は生き延びて、この真実を必ず、歴史に残してほしい。

私たちのいた、警視庁公安部公安第五課未詳事件特別対策係は、スペックホルダーと呼ばれる、特殊能力者の犯罪を取り締まる部署だ。
現在、100万人に1人の割合で、なんらかの特殊能力を持つ人間が確認されている。
これは、人間の脳の進化によるものとされており、近年、急速に、その割合は増加している。

もしかしたら、君のかわいすぎる魔性もスペックかもね。

スペックの種類は多岐にわたり、スペックホルダーたちは、その才能を買われ、さまざまな国や世界的大資本が争奪戦を繰り広げていた。
そして、スペックホルダー同士の、血で血を洗う戦いが激化した。

しかし、そんなことは今考えればささやかなことだった。スペックホルダーたちの暴走が始まったのだ。

ファティマ第三の預言は、ついに、現実のものとなった。
それは、暑い暑い、夏の出来事だった―――

*

これから先に書かれている、ファティマ第三の預言は、未だ明らかにされていない。
結末が悲劇なのか、希望なのかもわからない。

しかし、預言はあくまでも預言だ。
私は、人類の未来を信じている。
なぜなら、命ある限り」すべては変えられるからだ。

命とは希望の光そのものだよ。
だから、どんな悲劇が起ころうとも、我々人類はそれを乗り越えていける。
そのための進化だと、私は信じている。

だから、生きろ。
何があっても生きることをあきらめるな』


*

これに続く エンディングの中で 当麻・瀬文が並んで 次回作”SPEC 欠(結)”の告知をしました。

NOVEMBER 3 2014の 荒涼たる光景 に 到った 堤ワールド炸裂の事の次第 を ちあき は熾烈に知りたくなりました。これは きっと重篤なSPEC病 というものなのでしょう、待ち続けるほか なし!と ちあき は思い到りました。

このことは さらに 避けて通れない重くて大切な人類の課題 ---(第三の)秘密は'novissimi'--最後の事ども--に関係し、そして聖書において明らかにされていることに一致する。(ラッツィンガー枢機卿)

つまりは ”第三の秘密は黙示録的であり、そしてそれゆえに聖書の終末論的なテキストに一致する。”ということにも 思い到りました。 


ルシアが書き留めたファティマ第三の預言(秘密)を読んだ教皇たちの言葉が その裏付です。


 われわれの生命を放棄する準備するように
われわれに要求するであろう試練を堪え忍ぶ準備をしなければならない...(教皇ヨハネ・パウロ二世)


 世界は恐るべき深淵の縁にいる...
人々は人類が決して見たことがなかったような
そのような苦しみのために準備を整えなければならない。(教皇ピオ十二世)



    

ここまで見て来て、下に掲げる コンノケンイチ氏のファティマ預言へのアプローチの軌跡・足跡が 激しく
ちあき を 揺さぶっています。

------以下 記載の これら 事どもは 最下段掲載 コンノケンイチ氏の『フォトンベルトとファティマ大預言』解説文に 順次追記していく予定で います。


もう 認めないと 理解が立ち行かない! なあ と思える 事ども----


------異星知的生命体の存在 ( UFOの存在 )

   月裏面のUFO中継施設(基地)の存在

   古代文明の滅亡の広範な痕跡に窺える古代の核戦争と地下都市(核シェルター)の存在



   滅んでいった文明の担い手の中のほんの一部の人類が(異星知的生命体の監視下に選別されて)今に至る文明に繋いだ、これら 人類の栄枯盛衰の記憶の 事ども を記録した聖書・金石文碑、等の 悲痛な伝承 の存在の数々 -----。





原発存廃の岐路----その選択と政策の如何よっては、世界を滅亡へと導くかもしれない わたし達への警世の悲痛な警鐘として 河野太郎氏の所説を 少し長くなりますが 以下に掲示しておきます。

大飯原発 再稼働の決断が 如何に間違った選択であるのかが、ちあき には良く分りました。

**************************************

日本は今、ウランを加工して、ウラン燃料を原子力発電所で燃やしています。私たちが使っている電力の3割から4割は、この原子力発電でまかなわれています。

ウランを原子力発電所で燃やすと、使用済み核燃料と呼ばれる核のゴミが出ます。薪をストーブで燃やすと炭になる、そういう関係です。ウランを原子力発電所で燃やせば、必ず使用済み核燃料という物が出て来ます。
この使用済み核燃料と呼ばれている物を再処理すると、使用済み核燃料の中からプルトニウムを取り出すことができます。再処理という言葉をみなさんも聞いたことがあるかもしれません。
今、青森県の六ヶ所村に作られたのが、この再処理をするための工場です。

ウランを原子力発電所で燃やして、使用済み核燃料が出て来る。それを再処理という化学処理をすると、使用済み核燃料からプルトニウムが取り出され、残った物は高レベル放射性廃棄物と呼ばれる、もう最後のどん詰まりの核のゴミがプルトニウムと分離されます。
そしてこのプルトニウムという核物質を、高速増殖炉と呼ばれる特殊な原子炉で燃やすと、発電をしながら、電力を取り出しながら、投入した以上のプルトニウムが取り出される。そういうことになります。プルトニウムがよりたくさんのプルトニウムを生み、それがまたこの高速増殖炉の燃料になる。
このウランから始まって高速増殖炉に到る、これを核燃料サイクルと呼んでいます。

もう30年以上前に日本が原子力発電を始めた時に、ウランを原発で燃やして使用済み核燃料にして、それを再処理してプルトニウムを取り出して、高速増殖炉で燃やして、投入した以上のプルトニウムを得ながら、発電をする――ここまで核燃料サイクルをきっちりやろうということで、日本は原子力発電をスタートしました。約30年前に、30年後にこの高速増殖炉が完成をする、そういう予定でした。
しかし、30年たった今、現実にこの高速増殖炉は、残念ながら実用化にはほど遠いのが現実です。今、日本政府の公式見解は、早くとも西暦2050年より前には、高速増殖炉は商業的に使われることにはならないだろう――これが日本政府の公式見解です。つまりあと40年以上、この高速増殖炉は現実的には使うことができません。

ところが今、日本の国はプルトニウムを45トン保有しています。このプルトニウムのかなりの部分は、実は再処理をヨーロッパ――イギリス、フランスにお願いをしていますから、日本が保有しているプルトニウムのかなりの量は、ヨーロッパにあります。しかし、それでも日本が45トンのプルトニウムを持っている、この現実に変わりはありません。
プルトニウムというのは、みなさんご存じの通り核爆弾の、核兵器の材料になる、そういう核物質です。隣の北朝鮮が、わずか50キログラムのプルトニウムを持っているだけで大騒ぎになり、6ヵ国協議が始められました。日本は45トン、つまり北朝鮮の1000倍近いプルトニウムを保有していることになります。
プルトニウムは核兵器の材料ですから、利用目的の定まらないプルトニウムを、日本は保有することは本来できないはずです。

それだけではありません。青森県の六ヶ所村に作られた再処理工場は、きちんと稼働すると1年間に8トンのプルトニウムを生み出す能力があります。
45トン、プルトニウムを持っていながら、プルトニウムを燃やす高速増殖炉はあと40年以上実用化されません。そして、再処理工場から8トンずつプルトニウムが出て来る。大変おかしな状況になっています。
そして、あと40年以上高速増殖炉ができないということがわかりながらも、何十兆円のお金をかけてこの再処理のための工場を作り、環境を整備しようとしてまいりました。

そして今、プルトニウムがどんどん増えてしまうものですから、経済産業省と電力会社は、プルトニウムとウランを混ぜたMOX燃料というものを作って、MOX燃料を原子力発電所で燃やす、プルサーマルということを始めようとしています。プルサーマルという言葉をお聞きになったことがあるかもしれません。いよいよ佐賀県を始め、日本のいくつかの原子力発電所で、ウランとプルトニウムを混ぜたMOX燃料を燃やす、プルサーマルがスタートしようとしています。
なぜこんなことをするかといえば、本来高速増殖炉で燃やすためのプルトニウムが、どんどん溜まってしまう、しかし高速増殖炉ができない。苦肉の策として、プルトニウムとウランを混ぜて原子力発電所で燃やして、少しでもプルトニウムを消費しようというのが、プルサーマルです。
電力会社と経済産業省は、プルサーマルをウラン資源の再利用だというふうに宣伝をしています。
しかし実際このMOX燃料は、ウランが9に対してプルトニウムが1の割合で混ぜられています。プルサーマル計画によって、ウランを9、プルトニウム1の割合で混ぜたMOX燃料を燃やすわけですから、ウラン燃料の1割の節約になるだけです。そのためにMOX燃料を作る工場にまた何兆円ものお金をかけて、新しく工場を作る。こんなことをするお金があるのだったら、ウランの鉱山をその何兆円のお金で買ってしまった方が、はるかに安上がりです。

今、日本のエネルギー政策、特に原子力政策は、高速増殖炉ができない、そしてプルトニウムがどんどん溜まってしまう、このプルトニウムを消費するためのプルサーマル計画で、さらにまた何兆円のお金をかけようとしています。
私は、ウランを原子力発電所で燃やして出て来る使用済み核燃料、ここで一度線を引いて、使用済み核燃料を中間貯蔵、つまりしばらく使用済み核燃料の状態で持っているということにすべきだと思います。そして2050年、本当に高速増殖炉が実用化されるのか、それを見極めて、本当に実用化されるならプルトニウムを取り出して高速増殖炉で燃やす、そういう道を歩めばいいと思います。しかし高速増殖炉が何らかの理由で実用化されないならば、プルトニウムを取り出さず、使用済み核燃料のまま持っているべきです。

原子力発電所でウランを燃やせば、使用済み核燃料、あるいは高レベル放射性廃棄物、どちらかの形の核のゴミが必ず出ます。両方とも非常に強い放射能を持った物質です。地下数百メートルの所に100年、200年、きちんと埋めて管理をする、そしてその後、人間社会から完全に切り離す、地層処分という処分をしなければなりません。

残念ながら今、日本の国の中で、使用済み核燃料であっても高レベル放射性廃棄物であっても、この核のゴミを処分する場所は見つかっていません。ウランを原子力発電所で燃やす、そういう電力の取り出し方をする以上、核のゴミはどんどん増えていきます。
私たちは核のゴミをどう処分するのか、あるいは高速増殖炉を本当に実現するのか、溜まってしまったプルトニウムをどう処理するのか――こうした問題を解決しなければなりません。

今の日本の原子力政策は間違っています。

私は、使用済み核燃料の状況で中間貯蔵をして、高速増殖炉が本当にできるのかどうか、そこを見極めた上で再処理をするかどうかを決めるべきだと思います。
ぜひ一人でも多くの国民のみなさまに、今の日本の原子力政策がどう誤っているのか、しっかりご理解をいただきたいと思います。







 
我ら人類が 否!ちあき が その望まない死を迎えるための 準備・試練
     
               ------------------覚悟の これからの日々!






映画「劇場版SPEC~天~」


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【ストーリー】

通常の捜査では解決できない特殊な事件を専門に扱う「警視庁公安部公安第五課未詳事件特別対策係」通称「未詳(ミショウ)」の特別捜査官、当麻紗綾(戸田恵梨香)と瀬文焚流(加瀬亮)。型破りなためケンカの絶えない彼らのもとに、海上のクルーザーから大量のミイラ死体が発見されたという知らせが届く。これはスペックホルダー(SPECを持つ人びと)による犯行なのか。やがて、それは国家を揺るがす大事件へと発展していく。シンプルプランとは?ファティマ第3の予言とは?その時、当麻の左手に激痛が走る……。



2010年10月からTBS系列にて放送され、特殊能力を題材にした独特の世界観で人気を集めたテレビドラマ「SPEC(スペック) 〜警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿」。ドラマエンディングの「映画化とかぜってーしねーからな」というセリフを華麗に覆し、映画化。
人間の脳の使われていない能力を顕在化させた“SPEC”という、いわゆる“超能力”を使った犯罪を調べる警視庁の部署・ミショウの刑事たちが、凶悪化していくスペックホルダー(SPECを持つ人びと)と戦う姿を描く。ドラマ版の演出を務めた堤幸彦がメガホンを取り、主演の戸田恵梨香と加瀬亮ら主要キャストが続投。さらに栗山千明、伊藤淳史、浅野ゆう子ら新キャストが加わり、摩訶(まか)不思議な“SPECワールド”を彩る。



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【公開日】
2012年4月7日

【製作年】
2012年

【製作国】
日本

【上映時間】
119分

【配給】
東宝

【監督】
堤幸彦

【脚本】
西荻弓絵

【音楽】
渋谷慶一郎 / ガブリエル・ロベルト

【主題歌】
THE RiCECOOKERS

【エグゼクティブプロデューサー】
濱名一哉

【プロデューサー】
植田博樹 / 今井夏木

【アソシエイトプロデューサー】
大原真人 / 渡辺敬介

【ラインプロデューサー】
市山竜次 / 赤羽智比呂

【撮影】
斑目重友

【照明】
川里一幸

【録音】
臼井久雄

【美術プロデュース】
小林民雄 / 山下杉太郎

【美術デザイン】
大木壮史

【装飾】
大村充

【VFX】
野崎宏二

【編集】
大野昌寛

【記録】
奥平綾子

【サウンドデザイン】
石井和之

【助監督】
白石達也

【制作担当】
植松育巳

【出演】

戸田恵梨香
加瀬亮
伊藤淳史
栗山千明
三浦貴大
でんでん
浅野ゆう子
福田沙紀
神木隆之介
椎名桔平
竜雷太

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ファチマの聖母マリア・ファチマの真実 南山大学、三上茂教授

聖母の御出現

1917年5月13日(第1回目の御出現)
1917年6月13日(第2回目の御出現)
1917年7月13日(第3回目の御出現)
公・力の介入 (1917年8月10日から8月15日まで)
1917年8月19日(ヴァリニョスにおける第4回目の御出現)
1917年9月13日(第5回目の御出現)
1917年10月13日(第6回目の御出現)




ファティマ聖母像




第1回目の御出現:1917年5月13日(日曜日


この日、三人の小さな羊飼いたちは、早ミサに与った後、ルシアの両親が所有しているコヴァ・ダ・イリアと呼ばれる土地で羊に草を食べさせるために出かけましたが、ゆっくりと羊に草を食べさせながら行ったので、そこに着いたときにはほとんど正午ちかくになっていました。昼食の後、ロザリオを唱えてから、彼らは丘の上の方に移動し、遊びを始めました。突然彼らは閃光と思われるものを見ました。閃光の後には雷鳴を伴う暴風雨が来ることを経験的に知っていた彼らは急いで家に帰った方がよいと考えて移動を始めました。丘の途中のウバメガシの木のところまで降りて来たとき、彼らはその小さな木の上に全身を白い衣装に身を包んだ貴婦人を見ました。ルシアの表現によれば、その貴婦人は「太陽よりももっと明るく、キラキラ輝く水で満たされた水晶のコップよりも透明で強い光線を発していました」。彼らはその貴婦人と距離があまりにも近かったので、彼女を取り巻いている、あるいは彼女から発散している光の中に浸されていました。その貴婦人は彼らにこう言われました。

-恐れないで。私はあなたがたに害を加えませんから。-

ルシアはどこから来られたのですかと尋ねました。

私は天からの者です。

-あなたは私に何をお望みですか?-

これから続けて6ヶ月の間13日に、同じ時間にここに来ることを求めるために来ました。後に、私が誰であり、何を望んでいるかを言いましょう。後になって、7度目にもここに戻って来るでしょう。-

-私は天国に行けるでしょうか?-

-ええ、行けます。-

-では、ジャシンタは?-

-彼女も行けます。-

-フランシスコも?-

-彼も天国へ行くでしょう。しかし、彼はロザリオをたくさん唱えなければならないでしょう。-

ルシアは先に亡くなった友だちのことについて尋ねました。

-マリア・ダス・ネヴェスは天国にいますか?-

-ええ、います。-

-では、アメリアは?-

-彼女は世の終わりまで煉獄にいるでしょう。-

それから、貴婦人はルシアにこうお尋ねになりました。

-あなたは、神に背く罪の償いと罪人たちの回心への嘆願の行いとして、喜んであなた自身を神に捧げ、神があなたにお与えになるすべての苦しみを耐えますか?-

-はい、喜んで。-

-それでは、あなたは多く苦しむことになるでしょう。しかし、神の恩寵があなたの慰めとなるでしょう。-

聖母はこう言われて、初めて両手を拡げられ、彼女の手から非常に強い光を三人の子どもたちに放射されました。彼らは跪き、心の中で「おお、いとも聖なる三位一体よ、私はあなたを賛美します!わが神よ、わが神よ、私はいとも祝せられた秘蹟においてあなたを愛します!」という祈りを繰り返し唱えました。しばらくして、聖母は再び語られました。

-世界平和と戦争終結がもたらされるように毎日ロザリオの祈りを唱えなさい。-

ルシアはこう尋ねました。

-戦争が長い間続くのか、それとも間もなく終わるのか、私に教えてくださることができますか?-

-そのことはまだあなたに教えることはできせん。というのは、まだ私が何を望んでいるかを言っていませんから。-

そう言われて、聖母は東の方角へと天に昇って行かれました。聖母の御出現は10分間ほど続きました。

この御出現において、特徴的なことは、三人の子どもたちのうち、フランシスコは聖母の姿を見ることができましたが、聖母の御言葉を聴くことができなかったということ、ジャシンタはすべてを見聴きすることができましたが、彼女自身聖母に話をすることはなかったということです。ルシアだけが聖母と話すことができました。
その彼女は唯一の生き証人として、現在もスペイン・コインブラのカルメル会修道院にいます。聖母の御出現があった1917年にルシアは10歳、フランシスコは9歳、ジャシンタは7歳でした。彼らは当時の状況として、まだ読み書きができませんでした。上に述べて来たことは、ルシアが学校に行って読み書きができるようになり、修道院に入ってから書いた第四の手記(1941年トゥイの修道院で)に基づく記述です。しかし、御出現そのものについては、ジャシンタがその日に母親をはじめ、家族に聖母を見たことを告げて、表面化し、ファチマ教区司祭のフェレイラ神父によって、御出現の翌日には子どもたちに対する厳しい尋問が行われ、記録されていますから、以後の御出現でも同じように、その翌日には記録を取られているということです。
もちろん、子どもたちには直ぐに他人には明かしてはならない秘密もありましたから、尋問の時にはためらいや答えられないこともあったでしょうが、三人の証言は核心部分において一致し、以後の御出現において、客観的な現象が多数の人々によって確認されてゆくことになります。



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1917年にルシア(左)は10歳、フランシスコ(中)は9歳、ジャシンタ(右)は7歳




第2回目の御出現:1917年6月13日(水曜日)




6月13日は聖アントニオの祝日で、聖アントニオはファチマの守護の聖人であると同時にポルトガルの国家的守護の聖人でも・りました。ルシアの母親はこの大祝日がルシアたちに聖母の御出現のことを忘れさせてくれることを期待していました。しかし、子どもたちにとっては聖母との約束を違えることなぞ論外のことであり、もちろんコヴァ・ダ・イリアへ行くことにしていました。
コヴァ・ダ・イリアでは、近隣の村から御出現の噂を聞いた人々が約五十人ほど集まっていました。ファチマの教区からはマリア・カレイラ以外にはほとんど来ていませんでした。
ジャシンタ、フランシスコ、ルシアがロザリオの祈りを唱え終わったとき、彼らは近づいて来る光のひらめきを見ました。次の瞬間に彼らは5月のときと同じウバメガシの木の上に聖母を見ました。
ルシアが尋ねます。

-あなたは私に何をお望みですか?-

-あなたが来月の13日にここに来ること、毎日ロザリオの祈りをすること、読み書きの勉強をすることを望みます。後で、私が何を望んでいるかを言いましょう。-

ルシアが一人の病人の癒しをお願いすると、聖母はこう言われました。

-もし彼が回心するならば、今年の間に癒されるでしょう。-

ルシアは自分たちを天国に連れて行ってほしいとお願いしました。聖母はこう言われました。

-ええ、私はジャシンタとフランシスコをまもなく連れて行くでしょう。しかし、あなたはそれよりも少し長く地上にとどまらなければなりません。イエズスは人々に私を知らせ、愛させるためにあなたを使うことを望んでおられます。イエズスはこの世界に私の汚れなき御心への信心を打ち立てることを望んでおられます。この信心を実行する人に私は救いを約束します。これらの人々の霊魂は神の玉座を飾るために私によっておかれた花のように、神にとって大切なものです。-



ルシアは悲しくなって、自分だけ一人で地上にとどまらなければならないのですかと聖母に尋ねます。

-いいえ、娘よ、あなたはたくさん苦しんでいますか?気を落とさないでください。私は決してあなたを見放しません。私の汚れなき御心はあなたの避難所であり、あなたを神へと導く道であるでしょう。-

こう言われた後、聖母は両手をお広げになり、三人の子どもたちにおびただしい光線の束をお注ぎになりました。ルシアの言葉によれば、彼らはいわば「神の中に浸された」かのようでした。彼らはそのとき聖母の汚れなき御心を見ました。ルシアの言葉によればこうです。

「聖母の右の手の前に茨によって取り囲まれた心臓があって、それを茨が突き刺していました。私たちはこれがマリアの汚れなき御心であり、人間の罪によって踏みにじられ、償いを求めておられるということを理解しました。」

ルシアが後に(1927年)語ったところでは、このマリアの汚れなき御心のことは聖母から秘密を守るように言われたことではなかったけれども、神によってそうするように動かされていると感じたということのようです。
御出現の後、子どもたちは聖母のメッセージについて明かすように迫られたとき、最初は月の13日に御出現の場所に行くこととロザリオの祈りを毎日唱えることの2点だけを明かしていましたが、他にないかとさらに問いつめられて嘘を言わないために、「聖母はあることを言われましたが、それは秘密です」と答えざるを得ませんでした。1916年の天使の第2回目の出現のときに天使が語った「イエズスとマリアの御心はあなたがたの上に憐れみのご計画を持っておられます」という言葉はそのときには、子どもたちにはよく理解できませんでしたが、聖母のこの第2回目の御出現でその意味が少し明らかにされたのです。

この日、御出現に立ち会った50人ほどの人々は不思議な現象をいくつか経験しています。ファチマ教区のマリア・カレイラはルシアが聖母が去って行かれると叫んだときに、ロケットのような音がしたと証言しています。また聖母が東の方角に去って行かれるときに、木の枝が東の方へとなびいた、小さな雲が東の方角へ向かって上って行った、聖母が御出現になったウバメガシの木のてっぺんの若枝が人が乗ったように傾いたという証言もありました。最初の巡礼者となった彼らは村に帰り、自分たちの経験した不思議なことを人々に語ります。このようにして、次の7月13日の御出現にはもっと多くの人々が集まることになります。


第2回目の御出現の後、ルシアはファチマ村において不信の嵐にさらされることになります。マリア・カレイラを除いてほとんどのファチマの人々は御出現を信じませんでした。ルシアの母親、マリア・ロサやルシアの姉妹たちもルシアの言うことをまだ信じていませんでした。教区司祭フェレイラ師はフランシスコ、ジャシンタ、ルシアの順番に質問をしました。フランシスコは神父の問いに答えられることを全部答えましたが、ジャシンタは何も言いませんでした。ジャシンタはルシアが神父の質問に答えている間ロザリオの祈りを唱えていました。三人の質問の後、主任神父のフェレイラ師は「これは全部悪魔の発明だ」という宣告をくだしました。

あまりにも静かに言い渡されたこの宣告はルシアを暗闇の中に突き落としました。ルシア自身、悪魔のせいかもしれないという疑念にさいなまれます。ルシアはこの疑念をジャシンタとフランシスコに打ち明けますが、彼らはそのことを否定し、ルシアを励まします。「悪魔は醜いけれど、私たちが見たあの貴婦人はあのように美しかった。私たちはあの方が天に昇って行かれるのを見ました」と。しかし、ルシアは悪魔が彼女を欺く夢をさえ見て、疑いの暗闇から解放されることなく、いとこたちから身を隠すまでになりました。10歳の少女ルシアは教区の司祭と母親という二つの権威ある存在から信じて貰えず、ついには約束したコヴァ・ダ・イリアへはもう行かない決心をします。ルシアはジャシンタとフランシスコにこの決心を告げます。彼らは泣いてルシアのこの決心を翻すように頼みますが、ルシアの決心は変わりませんでした。ルシアが後でジャシンタに聞いたところでは、ジャシンタはルシアの決心を聞いた夜、一晩中眠らずに泣きながら聖母に、ルシアが一緒に行くように祈ったということです。





第3回目の御出現:1917年7月13日(金曜日)




約束の第3回目の日になり、ルシアはほとんど抵抗できないある力に促されて、突然行かなければならないと感じました。彼女がいとこたちの家に行くと、フランシスコとジャシンタは寝台の側に泣きながら跪いていました。ルシアが出かけないのかと尋ねると、彼らはルシアと一緒にでなければ行かない、一緒に行こうと言いました。ルシアが一緒に行くと言うと、彼らの顔は喜びに輝きました。彼らは一緒に出かけましたが、途中で群衆が待ち受けていて思うようにコヴァ・ダ・イリアに近づけませんでした。マリア・ロサはジャシンタとフランシスコの母親オリンピア・マルトと一緒に、何が起こるかを見るために、人目につかないように身を隠しながら、彼らから遠く離れてついて行くことにしました。ティ・マルトは三人の子どもたちの側にいました。ルシアがロザリオの祈りを先唱し、群衆がその後を続けました。人々は日差しをよけるために日傘をさしていましたが、聖母の御出現の時刻になったとき、ルシアは「傘をすぼめてください。聖母がおいでになりました!」と叫びました。

ルシアが尋ねます。

-あなたは私から何をお望みですか?-

-あなたがたが来月の13日にここに来ること、世界のために平和を得、戦争を終わらせるために、ロザリオの聖母をたたえて毎日ロザリオの祈りを続けることを望んでいます。なぜなら、ただロザリオの聖母だけがあなたがたを助けることができるからです。-

-私はあなたがどなたであるかを私たちに教えてくださること、そしてあなたが私たちに御出現になっていることをすべての人が信じるように奇蹟を行ってくださることをお願いしたいのです。-


-毎月ここに来続けなさい。10月に、私が誰であるか、何を望んでいるかをあなたがたに教えます。そしてすべての人のために見て信じるように一つの奇蹟を行います。-


ルシアはあることを聖母にお願いしましたが、聖母はそれに対して恩寵をその年の内に得るためにはロザリオを祈る必要があるとお答えになりました。聖母はそしてこう続けられました。

-罪人のためにあながた自身を犠牲として捧げなさい。そして何度も、特に何か犠牲をするときにはこう言いなさい。おお、イエズスよ、これはあなたのため、罪人の回心のため、そしてマリアの汚れなき御心に対して犯される罪の償いのためです、と。-




---ココが ファティマの第一預言の部分 注)ちあき-------------

聖母がこう言われた後、5月、6月の時と同じように、三度目に両手を拡げられました。強い光線が地上を貫き、その中で彼らは一瞬の間でしたが、火の海のような地獄を見せられました。悪魔、人間の形をした霊魂たちが絶望と苦悶のうちに透明な火の固まりとなっていました。ルシアが恐怖のあまりに叫んだ声を周りにいた人々が聞いています。三人は救いを求めるかのように聖母を見ました。そのとき、聖母はこうおっしゃいました。

-あなたがたは哀れな罪人たちが行く地獄を見ました。彼らを救うために、神は世界の中に私の汚れなき御心に対する信心を打ち立てることを望んでおられます。私があなたがたに言っていることがなされるならば、多くの霊魂が救われ、平和が来るでしょう。戦争は終わるでしょう。



---ココが ファティマの第二預言の部分 注)ちあき------------

しかし、人々が神に背くことを止めないならば、ピオ十一世の御代の間にもっとひどい戦争が起こるでしょう。未知の光によって照らされる夜を見るとき、これが神によってあなたがたに与えられる大きなしるしであるということを知りなさい。神は戦争、飢饉、教会と教皇の迫害によって世界をその罪のために罰しようとしておられるのです。-

-このことを避けるために、私は私の汚れなき御心へのロシアの奉献と、初土曜日の償いの聖体拝領を求めるために来るでしょう。もし私の要求が顧みられるならば、ロシアは回心し、平和が来るでしょう。もしそうでないならば、ロシアは戦争と教会の迫害を引き起こしながら、その誤謬を世界中に広めるでしょう。善い人々は殉教し、教皇は多く苦しみを受け、さまざまの民族が絶滅させられるでしょう。-




........(ここに第三の秘密と言われる部分が来ますが、この部分はいまだに公開されていません。)


注)ちあき
 本稿後段掲載の、2000年5月「 教皇庁発表によるファティマ『第三の秘密』に関する最終公文書」を参照ください 。また 本稿最下段の 「ポール・クレイマー神父による『ファチマの聖母マリア 第三の秘密は大懲罰を明らかにしている』」も合わせて ご参照下さい。 



-最後に、私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシアを奉献するでしょう。そしてロシアは回心し、ある期間の平和が世界に与えられるでしょう。-


-ポルトガルでは信仰の教義が常に保たれるでしょう。このことを誰にも言ってはいけません。フランシスコには、ええ、言ってもよいです。-


-ロザリオの祈りを唱えるとき、各玄義の後にこう言いなさい。おお、わがイエズスよ、私たちの罪を赦し、私たちを地獄の火から守ってください。すべての人々、ことに最も御憐れみを必要としている人々を天国へ導いてください。-


ルシアが最後に「何かもっと私にお望みのことがありますか?」と尋ねると、聖母はこう言われました。

-いいえ、今日はそれ以上何も望んでいません。-

この3回目の御出現に立ち会った人々の数は800人くらいという報告から1000人、1000人以上、中には2000人という報告まであり、一致していません。しかし、いずれにせよ、前回の50人を大幅に上回る人々が集まったことは確かです。

1917年の6回の御出現のうち、この第3回目の御出現の持つ意味はいちばん大きいと思われます。聖母は3ヶ月も前に、10月13日に人々が見て信じるように大奇蹟を起こすことを預言されました。
これは、ルルドのベルナデッタがやはり聖母に奇蹟をお願いしたのと同じように、ルシアが聖母の御出現を信じない人々のために起こしてくださいとお願いし、聖母がお応えになったものです。
ただし、ルルドの場合には、聖母はベルナデッタが教区司祭ペイラメール師の助言に従って、御出現の場所であるグロット(洞窟)のバラの茂みに花を咲かせてもらうようにお願いし、聖母はそれに微笑んでお応えになっただけでしたが、ファチマでは正確に日時を定めて、立ち会うすべての人々の前で、彼らが「見て信じるように」なる奇蹟を行うという公開の約束をされたのです。



聖母の3回の御出現の後、ルシアの母親のマリア・ロサはルシアにさらにつらく当たります。ある日彼女はルシアを呼んで、これから司祭のところへ連れて行くから、「これまで嘘を言っていました。ごめんなさい」と謝りなさいと命じます。マリア・ロサがジャシンタの家に立ち寄ったときに、ルシアはジャシンタにそのことを伝えます。ジャシンタとフランシスコはルシアのために、以前に天使に出会った井戸の側でルシアのために祈っていると言います。
司祭館に着いたとき、母親はルシアに説教をしますが、ルシアは「お母さん、私は実際に聖母を見たのに、どうして見ていないと言うことができるでしょうか?」と言います。母親はそれに対して、「私が望んでいることはおまえが本当のことを言うことです。もし見たのなら、見たとおっしゃい。でも、見なかったのなら、嘘を言っていたとお認めなさい」と言いました。
司祭はルシアに親切に、礼儀正しく接し、彼女の話が矛盾していないかどうか、いろいろ質問しました。結局、司祭はルシアの話に矛盾点を見出せずに、肩をすくめて「どうしてよいのか私には分からない」と言いたげに、彼女を放免しました。
帰宅途中にルシアが井戸のところに行くと、フランシスコとジャシンタが跪いて祈っていました。ジャシンタは彼女に駆け寄って、「何も怖がることはないわ、マリア様がいつも助けてくださるわ」と言いました。

7月13日以来、コヴァ・ダ・イリアには好奇心の強い人たち、信仰心を持った人々が大勢やってきてロザリオの祈りを唱えるようになりました。
マリア・ロサはますますルシアにつらく当たりますが、ルシアは決して母親を恨んだり、憎んだりしませんでした。
彼女はそれは主イエズス・キリストの特別な恵みだったと、後になって述懐しています。

天使の第2回目の出現の時に言われた「特に主があなたがたにお与えになる苦しみを従順に受け入れ、忍びなさい」という勧めの中にルシアは神の御手を見ていたのでした。



公権力の介入:1917年8月10日(金曜日)から8月15日(水曜日)まで



ファチマの聖母御出現の問題はもはや教会内の問題や三人の子どもたちの問題ではなくなってきました。何千人もの人々が集まり出したからでしょう。ここに、公権力が介入して来ます。当時のポルトガルは自由主義的思想傾向が強く、フリーメーソンの考え方が政治とマスコミを支配していました。ブリキ屋というニックネームを持つアルトゥール・デ・オリヴェイラ・サントスは30歳の若さでヴィラ・ノヴァ・ダ・オウレム地区の行政官でした。「オウレムの声」という新聞まで持っていました。 その新聞は反王権的、反聖職的な旗印をかかげていました。オリヴェイラ・サントスは自由と民主主義の名の下にファチマの御出現によって起こされた大衆の信心を押しつぶそうと目論んだわけです。

8月10日にジャシンタとフランシスコの父親、マヌエル・マルトとルシアの父親アントニオ・ドス・サントスは8月11日正午に子どもたちを伴ってヴィラ・ノヴァの町役場に出頭せよという通知を受け取りました。町役場まではかなりの距離があって、マルトは子どもを連れずに出かける決心をしますが、アントニオの方はルシアを連れて出かけました。ルシアはロバの背に乗せられて行きましたが、途中で三度もロバの背から落ちました。マルトは郡長オリヴェイラ・サントスから子どもたちを連れてこなかったことで激しく非難されました。ルシアは皆のいる前で郡長からいろいろと質問され、聖母から告げられた秘密を明かし、コヴァ・ダ・イリアには二度と行かない約束をするように、脅迫さえされました。ルシアはこれらの苦しみを神さまへの愛のため、罪人たちの回心のための犠牲として捧げました。夜になって、戻されたとき、ルシアが例の井戸のところに行くと、ジャシンタとフランシスコが井戸の縁によりかかり、跪いて祈りながら、激しく泣いていました。彼らはルシアが郡長によって殺されたとルシアの姉から聞かされていたのでした。


このようにして、ルシアは始めて当局からの迫害を受けたのですが、それは迫害の始まりでしかありませんでした。8月12日、聖母御出現の日の前日に大群衆が方々から集まり始めました。あらゆる種類の車、自転車、自動車、馬車等々が道路にひしめきます。8月13日(月曜日)の朝、9時に郡長のオリヴェイラ・サントスはマルト家に来て、子どもたちに会いたいと言います。子どもたちをファチマまで馬車に乗せて行きたいというのです。子どもたちはその必要はないと言いますが、群衆にじゃまをされないために馬車に乗って行く方がよいと郡長は頑張ります。結局、アントニオが子ども三人を歩いて連れて行くことになりました。しかし、郡長は司祭館まで行き、そこでフェレイラ神父と会い、神父がルシアに質問することを納得させます。ルシアはここでも、聖母を見、メッセージを受けた事実を主張します。しかし、郡長の目論見は別のところにありました。彼は司祭館から子どもたちを連れ出して、御出現の場所であるコヴァ・ダ・イリアに行かせないことを企んでいたのです。フェレイラ神父の質問の後、郡長は馬車の中に子どもたちを乗せ、コヴァ・ダ・イリアに行くと見せかけて、方角を変え、馬に鞭を与えました。ルシアは方角が違うと抗議しますが、郡長はまずオウレムに行って司祭に会い、それから自動車でコヴァに行くのだと嘘を言います。途中で群衆は子どもたちが郡長の馬車に乗せられて連れ去られるのを見ましたが、郡長は子どもたちを見えないようにするために彼らに敷物を被せています。1時間か1時間半ほどして、彼らはコヴァにではなく、郡長の家に到着します。これはまさに権力者による子どもの誘拐です。到着すると、彼らは一室に監禁され、秘密を明かすまでは出さないと言われます。しかし、昼には郡長夫人、セニョーラ・アデリーナ・サントスが彼らを親切に遇し、昼食にごちそうを出し、食後には自分の子どもたちと遊ばせたり、絵本を与えたりしています。夫のやり口を償うつもりだったかも知れません。

8月13日、聖母との約束の日に三人はコヴァ・ダ・イリアに行くことは結局できませんでした。
郡長はそこでは何事も起こらず、すべてが失敗に帰するであろうと考えていました。しかし、コヴァ・ダ・イリアでは三人がいないにもかかわらず、巡礼者たちには聖母がおいでになったと思われる出来事が起っていました。この日の巡礼者は1万8000人から2万人くらいいたと言われています。御出現の木、ウバメガシのまわりを取り囲んだ群衆は祈りを始め、聖歌を歌いました。しかし、子どもたちはやって来ず、皆は我慢できなくなり始めました。そのとき、ファチマから人が来て、郡長が子どもたちを誘拐したと告げました。人々が一斉にしゃべり始め、何が起こるかわからないような雰囲気になったとき、雷が轟きわたりました。中には泣き出す人もいました。その後で稲光がしました。そしてあのウバメガシの上に真っ白な小さい雲がしばらく止まり、それから上の方へと上がり、やがて消えました。
人々の顔や衣服、木々の葉が虹のすべての色に次々と染まりました。葉は花のように見えました。それは聖母マリアがご自分の現存をお示しになるために、雷鳴と稲光と虹というすべての人に見え、聞こえるしるしを与えられたと考えられます。
モンテロ村のマヌエル・ゴンサルヴェスは多くの異常なしるしがあって、そこ居合わせたすべての人がそれを見た、と証言しています。人々はお互いに聖母がおいでになったのだと言い合いました。このようにして、郡長の目論見は逆の結果を生むことになったのです。



翌日、8月14日は三人の子どもたちにとってはもっと苦痛な日でした。郡長は何としてでも子どもたちから秘密を聞き出そうと思っていました。彼は子どもたちの裏にきっと聖職者たちの陰謀が隠されていると読んだのでしょう。まず、柔軟路線で始めます。最初は老婦人を使って子どもたちから聞き出そうとしましたが、うまく行きませんでした。今度は郡長自らが子どもたちをひとりづつ呼んで、お金や金の鎖のついた時計を餌にしながら、何とか秘密を明かさせようとしましたが成功しませんでした。子どもたちの間でのお互いの矛盾をつくことも試みましたが駄目でした。
この日、郡長は子どもたちのヒステリーか幻覚を見つけて貰うために、レイリアから医師のアントニオ・ロドリゲス・デ・オリヴェイラを呼んでいます。医師は子どもたちにいくつかの質問をし、医学検査をしていますが、異常を見つけることはできなかったようです。

午後、郡長は強硬方針に切り替えます。彼らを恐怖の中に陥れることによって口を割らせようとしたわけです。それから、彼は彼らを強盗や他の囚人たちのいる監獄に入れました。母親から引き離され、囚人と一緒の監獄に閉じこめられた子どもたちの不安はどれほどだったでしょう。ジャシンタは激しく泣きました。フランシスコがこう言って妹を慰めました。「この苦しみを罪人たちの回心のために捧げよう!」と。

その後、彼らはもう一度、別々に質問されました。それから、また一緒に別の部屋に移され、順番に生きたまま煮えたぎる油の中に入れられる、と告げられました。彼らは本気で殉教を考えました。ジャシンタにとって両親に、特に母親に会えないまま死ぬことは大変悲しいことでした。三人は7月13日に聖母が教えられた祈りを唱えました。「おお、私のイエズスよ、これはあたの愛のため、罪人の回心のため、そしてマリアの汚れなき御心に対して犯される罪の償いのためです。」それから、囚人たちと一緒にロザリオの祈りを唱えました。

まず最初にジャシンタが牢番から呼び出され、油で揚げられたくなければ、秘密を明かせと言われて、連れ去られます。フランシスコはジャシンタのためにアヴェ・マリアを唱えます。次ぎにフランシスコが、そして最後にルシアが連れて行かれます。結局、彼らは誰も秘密を明かしませんでしたので、郡長は三度目の脅迫として、今度は三人を一緒に釜ゆでにすると言います。それも効を奏しませんでした。郡長の目論見はことごとく失敗しました。

翌8月15日、最後の尋問をした後で、郡長は子どもたちをファチマに連れて帰らざるをえませんでした。彼らがファチマに到着したとき、聖母マリアの被昇天の大祝日ミサがちょうど終わったところでした。郡長は子どもたちを司祭館の入り口に置いて、居酒屋へと逃げ込みます。
教区司祭のフェレイラ師はこのとき人々から郡長とぐるになっていたのではないかと疑われて、身の潔白を主張する声明を発表しています。フェレイラ師のこの声明は聖母御出現の出来事に大きなインパクトを与え、次の9月13日の御出現の日にもっと多くの巡礼者たちをコヴァ・ダ・イリアに呼び寄せることになります。



ヴァリニョスにおける聖母の第4回目の御出現:1917年8月19日(日曜日)



三人の羊飼いの子どもたちは日曜日のミサの後、ロザリオの祈りを唱えるためにコヴァ・ダ・イリアへ出かけました。午後には、ルシアとフランシスコはフランシスコの兄のジョンと一緒に羊に草を食べさせるためにヴァリニョスに行きます。ヴァリニョスはアルジュストレルとカベソの丘の中間にあるところです。

ここで、予期していなかった聖母の御出現がありました。ルシアは、聖母の御出現が近いことを直感して、ジョンにジャシンタを呼びに行ってほしいと頼みます。ジャシンタが御出現に立ち会えないと悲しむと思ったからです。しかし、ジョンも聖母の御出現を見たかったので、その場に残りたいと思いました。ルシアはポケットにあった2枚の硬貨をジョンにまず1枚あげるから、ジャシンタを呼んで来てほしい、戻ってきたときにもう1枚をあげると言いました。ジョンは大急ぎで走り去り、ジャシンタを連れて戻って来ます。しばらくして、ルシアとフランシスコが例の稲光を見たとき、ジャシンタが駆けつけ、一本のウバメガシの上に聖母が御出現になりました

ルシアは聖母に尋ねます。

-私から何をお望みになりますか?-

-13日にコヴァ・ダ・イリアに引き続き行くこと、毎日ロザリオの祈りを続けることを望みます。最後の月に私はすべての人が信じるように一つの奇蹟を行います。あなたがたが町へ連れて行かれることがなかったならば、その奇蹟はもっと大きなものとなるはずでした。聖ヨゼフが世界に平和を与えるために、幼子イエズスを連れていらっしゃるでしょう。私たちの主は人々を祝福なさるために来られます。ロザリオの聖母と悲しみの聖母も来られます。-

-人々がコヴァ・ダ・イリアに残して行ったお金で何をすることをお望みになりますか?-

-二つの駕籠を作らせなさい。一つの駕籠はあなたとジャシンタ、それに他の二人の少女が白い衣装を着て、もう一つの駕籠はフランシスコと他の三人の少年が担ぐのです。駕籠からのお金はロザリオの聖母の祝日のためのものです。そして残りのお金はここに建てられなければならない聖堂の建設に役立つでしょう。-

-ある病人を癒していただきたいのですが....-

-ええ、今年のうちにそのうちの何人かの人々を癒しましょう。-

それから聖母は悲しそうにこう言われました。

-祈りなさい。たくさん祈りなさい。そして罪人たちのために犠牲を捧げなさい。多くの魂が、彼らのために犠牲を捧げたり、祈ったりしてくれる人を持っていないからです。-

こう言って聖母はいつものように東の方角へと上って行かれました。

この日の御出現は三人のほかにはジャシンタとフランシスコの兄弟であるジョンだけが立ち会う御出現でした。
彼が母親に語ったところによれば、三人が跪いて祈り、ルシアが話しているのを彼は聞いていますが、もちろん聖母を見ることも聞くこともできませんでした。聖母が去られるとき、彼は銃声のようにはじける雷鳴を聞いています。
御出現の後、フランシスコとジャシンタは聖母が上におられたウバメガシの枝を一本を折り取って大切に家に持って帰りました。帰宅するとジャシンタがヴァリニョスで聖母を見たと母親のオリンピアに報告します。母親はジャシンタに「いつになったらその嘘は終わるのかね。行くところではどこででもお前はマリア様を見るのだね」と皮肉を言います。ジャシンタは取って来た枝を母親に見せます。その枝からはえもいわれぬよい香りがしました。母親はよい香りがするけれども、バラの香りではないし、何の香りかわからない、と言いました。父親のティ・マルトは同じように、何とも表現できないよい香りをその枝からかぎますが、妻のオリンピアとは違いジャシンタの言葉をますます信じるようになりました。





第5回目の御出現:1917年9月13日(木曜日)


9月13日の夜明けにファチマに向かう道路は大混雑をしていました。人々はロザリオを唱えながらコヴァ・ダ・イリアへと歩き続けました。正午近くになるとおよそ2万5000人から3万人の巡礼者が御出現を待ってつめかけていました。コヴァ・ダ・イリアではほとんどの人が帽子を取り、跪いてロザリオの祈りに唱和しました。三人の牧童たちは人混みでなかなか御出現の場所に近づくことができませんでした。途中で人々は彼らにマリア様へのさまざまな願い事を取り次いでほしいと懇願しました。三人はやっとのことでいつものウバメガシの木のところに着き、そこでルシアがロザリオの祈りを先唱し、群衆が唱和しました。後に枢機卿となったレイリアのジョン・カレスマ神父は友人二人と一緒に神父の制服を脱いで背広を着て御出現の様子を見に行きました。彼はそのときの様子を後に枢機卿になってから回想しています。正午になると、完全な沈黙があたりを支配しました。その後突然聖母を賛美する声が響きわたり、人々が一斉に空に向かって手を挙げました。

空は一点の雲もない真っ青の晴天でした。そのとき、カレスマ神父は東の方向から西の方向へ向かってゆっくりと荘厳に滑ってゆく光り輝く球体を見ました。もちろん、彼だけでなく、友人二人も、そして居合わせた3万人の人々のうちの多くがこの球体を見て叫び声をあげました。異常な光を放っていたその球体は突然消え去りました。その球体は御出現のウバメガシの木に近づきました。そのとき、太陽の輝きが鈍り、あたりが黄金色になりました。ある人は空に星を見ることができたと報告しています

ルシアが尋ねます。

-あなたは私から何をお望みですか?-

-戦争が終わるようにロザリオの祈りを続けなさい。10月には私たちの主がおいでになるでしょう。悲しみの聖母とカルメルの聖母も来ます。聖ヨゼフが世界を祝福するために幼子イエズスと一緒においでになるでしょう。
神はあなたがたの犠牲を喜んでおられます。神はあなたがたが縄をつけて眠ることを望んでおられません。つけるのは昼間だけにしなさい。



-あなたにたくさんのことをお願いするように頼まれました。病気の人々の癒しや聾唖の人の癒しなどです....-

-はい。ある人々を癒しましょう。しかし、他の人々は癒しません。なぜなら、私たちの主は彼らを信用しておられないからです。-

-人々はここに聖堂を建てたいと思っています。-

-お金の半分でロザリオの聖母の祝日に行列で担ぐ駕籠を作りなさい。後の半分は聖堂のためです。-

ルシアはこのとき、オリヴァル教区のある人から捧げられた2通の手紙と香水の小瓶を聖母に捧げようとしましたが、聖母は天国ではそれらは必要でないとお断りになられました。ルシアが第4の手記で明らかにしたところでは、このとき聖母はこう付け加えられました

-10月にはすべての人が信じるように一つの奇蹟を行います。-
そう言われて、聖母はいつものように天に昇られ始め、そして消え去られました。

聖母が天に昇って行かれるとき、多くの人々が再び先ほどの光り輝く卵形の球体が東の方角へと上ってゆくのを見ました。中には全然何も見ることができなかった人もいました。
信心深い一人の女性は自分が何も見ることができなかったので、いたく泣いていました。

そのほかにもこの御出現の間に巡礼者たちは不思議な光景を見ることができました。
彼らが見たのは空から舞い落ちる白い花びらのようなもの、丸くて輝いている雪片のようなものでした。それは地上に落ちると消えてなくなりました。非常に多くの人々がこのような感覚的な形で異常なことを経験したこの5回目の御出現は人々に聖母の現前を強く感じさせました
。目に見えるこのしるしは次の10月13日、最後の回の御出現にはこのときの倍以上、5万人から8万人という大群衆をコヴァ・ダ・イリアに引き寄せることになります。

この後、三人の牧童たちは人々につきまとわれ、質問攻めに会います。ひっきりなしの訪問者たちによってルシアとジャシンタの家庭はかきまわされます。牧場であるコヴァ・ダ・イリアは人々に踏み荒らされ、畑の野菜も取れなくなります。マリア・ロサとオリンピアは羊を売り払わなければならなくなります。家計は苦しくなり、ルシアは母親からお前のせいでこうなったと非難されます。マリア・ロサもオリンピアもティ・マルトも三人とも9月13日には人々が見た不思議な現象を何も見ませんでした。

10月の初めに、レイクシダのマリア・ド・カルモ・メネゼス夫人がルシアとジャシンタをマルト家とサントス家の許可を得て、自分の家に連れて行きます。
彼らを人々から引き離して8日間休ませるためです。しかし、二人が滞在していることは人々に知れて、多くの人々がつめかけて来ます。このメネゼス夫人が二人に「あなたがたが予言している奇蹟がもし10月に起こらなかったら、大いに期待して興奮しているこれらの人々が、あなたがたを生きたまま焼き殺すかもしれませんよ」と言いますが、子どもたちは確信に満ちて「聖母が私たちを欺かれることはないので、ぜんぜん怖くありません。マリア様は皆が信じるように大きな奇蹟を行うとおっしゃいました」と答えています。それ以前の9月27日にも、フォルミガオ神父が同じことを彼らに尋ねていますが、ルシアは同じ答えをしています。10月の御出現のときには、子どもたちの近くで当局が爆弾を仕掛けて爆発させるという噂も広まっていましたが、ルシアは、もしそうなら、私たちはすぐに天国に行けることになる、といとこたちと話しています。しかし、子どもたちの両親にしてみれば、こういう状況は非常な不安をかき立てるものでした。マリア・ロサは御出現の前日10月12日の朝早く、ルシアを起こして教会に告解に行こうと言います。彼女は「明日コヴァ・ダ・イリアで聖母が奇蹟を起こしてくれなかったら、人々が私たちを殺すという噂だから、死の準備のために告解をしておいたほうがよい」と娘に言います。ルシアは「お母さんがそうしたいなら、一緒に行ってもよいですが、殺されることを恐れているからではありません。私は聖母が約束されたことを必ずなさると確信していますから」と答えています。それでもう誰も告解について話す者はいませんでした。マルト家では父親が御出現を信じていましたので、静かにその時を待っていました。こうしてファチマにおける最後の御出現の日、大奇蹟の日が来ます。




第6回目の御出現:1917年10月13日(土曜日)


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遂に聖母が預言された大奇蹟の日がやってきました。前日から雨の中を大勢の人々があらゆる方角からコヴァ・ダ・イリアめがけて集まり始めました。彼らはロザリオの祈りを唱え、聖歌を歌いながら、降り続く冷たい細かい雨でぬかるんでいる道を進みました。雨宿りするものが何もない野原で夜を明かしました。夜明けのかなり前から彼らは祈ったり、歌ったり、泣いたりしていました。

アルジュストレルのルシアの家ではマリア・ロサが、予言された奇蹟が起こらなかったときに生じるかも知れない悲劇のことを考えて不安にさいなまれていました。彼女はルシアを涙ながらに抱きしめ、ルシアが殺されるときには自分も一緒に死のうと思い、ルシアと同道する決心をしました。彼女は教区の司祭からコヴァ・ダ・イリアには行ってはいけないと言われていましたので、そのことが気がかりでしたが、聖水で身を護って出かけることにしました。彼らはまずマルト家に立ち寄ります。オリンピアはマリア・ロサと同じように子どもたちのことを心配していましたが、マヌエル・マルトは子どもたちを信じ、何事もうまく行くと確信して落ち着いていました。パンバリニョから来た婦人がルシアに青色のドレスをジャシンタに白いドレスを用意して来ていて、着せました。

彼らは人混みのために時間に遅れないように早めに家を出ました。外は篠つく雨でした。人々はぬかるむ道でひるみもせずに跪き、子どもたちにマリア様への取り次ぎを頼みました。マヌエルがジャシンタの手を取り、ルシアは父親のアントニオに手を引かれて、大群衆の中を御出現の場所に向かいました。フランシスコもマリア・ロサも一緒でした。ウバメガシの木のところに着いたとき、ルシアは群衆に傘をすぼめ、ロザリオの祈りを唱えるように求めました。雨はまだ降り続いていましたが、人々はルシアの求めに素直に応じて、傘をたたみ、祈り始めました。人々は全身ずぶぬれになりながら泥の上に跪きました。

午後1時半頃--これは太陽時の正午にあたります--ルシアは東の方角を見てジャシンタにこう言いました。「おお、ジャシンタ!跪きなさい。聖母が来られます!もう稲光を見ました!」近くにいたマリア・ロサは娘に「ルシア、注意してごらんなさい、失敗しないでね!」と叫びます。このとき、ルシアはしばらく脱魂状態に陥ります。ジャシンタがルシアをつついて、「ルシア、お話なさい、聖母がもう来ておられますよ!」と言いました。ルシアはそれで正気に戻って二回深呼吸をし、聖母と話し始めました。

-あなたは私から何をお望みですか?-

-私をたたえてここに聖堂を建てることを望んでいます。私はロザリオの聖母です。毎日ロザリオの祈りを続けて唱えなさい。戦争はまもなく終わり、兵士たちは自分たちの家に帰って来るでしょう。-

-あなたにお願いしたいことがたくさんあります。ある病人を癒し、ある罪人を回心させてほしいのです.....-

-ある人々を癒しますが、ある人々は癒しません。人々はその生活を改め、罪の赦しを願わなければなりません。-

それから、聖母は悲しそうな様子になられて、こう言われました。

-彼らはもうこれ以上私たちの主に背いてはなりません。なぜなら、すでに彼らはあまりにも主に背いているからです。-


-何かもっと望んでおられることがありますか?-

-これ以上はありません。-

-では、私もこれ以上あなたにお尋ねしません。-

聖母がルシアと話されている間、ウバメガシの木の上には9月のときと同じような雲があり、聖母が去られると同時に、雲も上の方に上がって行きました。それから、聖母が去って行かれるとルシアが叫んだとき、オリンピアは8月19日のときと全く同じ芳香をかぎました。

それから、またルシアが人々に向かって叫びました。「太陽をごらんなさい!」(このとき、ルシアは太陽を見てそう叫んだのではなく、聖母が去って行かれるとき、聖母が両手を拡げられ、それを太陽の上に反射させられ、彼女自身の光の反射を太陽そのものに投射されるのを見ていて、内的な促しを受けて人々に「太陽をごらんなさい!」と叫んだと言っています。)

その後、10分間にわたって、大群衆は預言されていた奇蹟をいわゆる「太陽のダンス」という形で見ました。それまで降っていた雨が突然止み、雲が急速に切れ、晴天になりました。顔を出したぎらぎら輝くはずの太陽を人々は裸眼で何ら眼を痛めることなしに見ることができました。真昼の雲一つない太陽が裸眼で見ても眼を損なわないなどということは科学的に見てあり得ないことですが、このとき、そのことが7万人ないし8万人といわれる大群衆の前で起こりました。すべてのものが動かず、静かでした。このこと自体が不思議なことですが、次ぎにさらに不思議なことが起こりました。その太陽がさまざまの方向に光線を発し、その光線が空気、大地、木々やその他大地にあるすべてのもの、人間たちをさまざまの色に染め上げました。しばらくして、太陽が止まったと思われ、次ぎに揺れ、震え、いわゆるダンスを始めました。その太陽が天からはがれたかのように、人々の上に回転する大車輪になってまさに落ちかかって来るように見えました。人々は叫び、泣きわめき、地にひれ伏しました。大声で自分の犯した罪を告白する人もいました。しかし、最後に太陽は動きを止めました。


人々は助かったと安堵の胸をなでおろすことができました。これが、聖母が預言され、三人の子どもたちが必ず起こると確信していた奇跡の内容でした。もちろん、聖母が初めから太陽の奇蹟を内容として預言され、三人の子どもにもそれを伝えられたわけではありません。
すべての人が見て信じるようになる奇蹟と言われていたことがこのような内容のものだったというわけです。聖母の約束はこのようにして文字通りに果たされました。
マリア・ロサは「これを信じないことはできない。誰も太陽に触れることはできないのだから」と言いました。

この日のことは進歩的、反カトリック的であることを標榜しているポルトガルの多くの新聞に記事として載せられました。聖職者のでっち上げであるとか、子どもたちの妄想であると言われていた事柄もここまで来ると、一つの動かしがたい事実としての重みを持ちます。この事実をどう解釈するか、ということだけが残される問題であって、事実をなかったことにすることは不可能です。



太陽のダンスの奇跡






大群衆がこの大スペクタクルを目撃していていた10分間、三人の幻視者たちは実は太陽の奇蹟を見ていませんでした。彼らはその間、もっとすばらしいこと、すなわち聖母が8月19日と9月13日の両日に約束なさった預言の実現に立ち会っていました。聖母が去られた後、彼らは聖ヨゼフが幼子イエズスを連れて、そして聖母が白い衣装を着、青いマントを羽織られて太陽の側に立っておられるのを見ました。聖ヨゼフと幼子イエズスはその手でそれぞれ十字架の印をされて世界を祝福されました。この御出現が終わってしばらくして、今度はわれらの主イエズス・キリストと聖母が御出現になりました。聖母は悲しみの聖母だとルシアには思われました。主は聖ヨゼフがそうされたのと同じやり方で世界を祝福されました。その御出現も終わった後に、また聖母が来られましたが、今度はカルメルの聖母でした。、

こうして、6回にわたるファチマ:コヴァ・ダ・イリアおよびヴァリニョスにおける聖母の御出現は幕を閉じました。しかし、これでファチマの出来事は終わったのでしょうか?上に述べて来たことは前にも言いましたように、1917年の時点ですべて人々に明らかにされていたことではなく、ファチマの秘密として後になって明らかにされたこともあり、「第三の秘密」と呼ばれている部分は未だに明らかにされないままになっています。

私見ですが、ファチマの聖母のメッセージが意味しているものは、単に個人的な信心の問題ではなくて、もっと世界史的、現代的な文脈の中で捉えられるべき問題であるように思われます。


(参考図書略) 

作成日:97/11/04

最終更新日:98/02/20








ファティマ第三の秘密 ( Wikipediaより) 


聖母が発表を命じた1960年になっても、教皇庁は公表せず、その為、このメッセージに述べられていることが何であったのか、次第に憶測が憶測を呼んだ。過去に予言されたことが、世界大戦などであった為、60年代は東西冷戦の真っ只中であったこともあって、あるいは核戦争や第三次世界大戦のことであろう、と危惧する者もあり、1981年5月2日には、アイルランド航空164便がハイジャックされ、犯人がカトリック修道士で、「ファティマ第三の秘密:を公開せよ、と要求する事件さえ発生した。

また、60年代になってこの記録を閲覧したローマ教皇ヨハネ23世はその内容に絶句し、再度封印してしまい、続いて次代の教皇パウロ6世も再度封印を解いたが、そのあまりの内容に、数日の間、人事不省になったという。



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また、教皇ヨハネ・パウロ2世は、2005年2月23日に著作『記憶とアイデンティティー』においてファティマのメッセージの全容に関する解釈を開示し、その内容を1981年5月13日の教皇暗殺未遂事件であったと規定し、背後に20世紀に生まれた暴力的なイデオロギーに属するしっかりした組織があったと述べ、更に2005年4月に発表された遺言において核戦争なしに冷戦が終結したことを神の摂理として感謝している


ただし、2000年に発表された文章は前の二つの預言と比べると矮小が過ぎること、前述したように40年に渡って隠匿され、60年代には当時の教皇が絶句したり発表を見送ったりする内容とはとても思えないこと、公開された「第三の秘密」は一群の兵士達によって、白衣の司教ら大勢の高位聖職者達が射殺される、とあり、1981年の事件とはあまりに食い違うことから、疑問を投げる向きもある。

すなわち、発表は虚偽、あるいは全体像ではなく一部像に過ぎないのではないか、とする声で、彼らの主張によれば、第三の秘密はまだ本格的には未公開である、とする。

こうした経緯の後で、2000年5月、教皇庁は、1960年以来、40年間発表を先送りにしてきたファティマの第3のメッセージを正式に発表した。( ちあき注 次項に掲載してます。乞う。ご参照)


( Wikipediaよりの引用 終り)


ちあき注)

また 本稿後段 掲載のポール・クレイマー神父による「第三の秘密は大懲罰を明らかにしている The Fatima Crusader, Isuue 77, Summer 2004より」をあわせて ご参照ください。

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「ファティマ 第三の秘密
教皇庁発表によるファティマ『第三の秘密』に関する最終公文書」
(教皇庁教理省)


教皇庁ファティマ第三の秘密公文書



第三の預言 引用

・・・マリアの左側の少し高い所に、火の剣を左手に持った一人の天使を見ました。しかしその炎は、マリアが天使に向かって差し伸べておられた右手から発する輝かしい光に触れると消えるのでした。天使は、右手で地を指しながら大声で叫びました。「悔い改め、悔い改め、悔い改め」

それからわたしたちには、計り知れない光―それは神です―の中に、「何か鏡の前を人が通り過ぎるときにその鏡に映って見えるような感じで」白い衣をまとった一人の司教が見えました。それは教皇だという感じでした。 そのほかに幾人もの司教と司祭、修道士と修道女が、険しい山を登っていました。その頂上には、樹皮のついたコルクの木のような粗末な丸太の大十字架が立っていました。教皇は、そこに到着なさる前に、半ば廃墟と化した大きな町を、苦痛と悲しみにあえぎながら震える足取りでお通りになり、通りすがりに出会う使者の魂の為に祈っておられました。

それから教皇は山の頂上に到着し、大十字架のもとにひざまづいてひれ伏されたとき、一団の兵士達によって殺されました。彼らは教皇に向かって何発もの銃弾を発射し、矢を放ちました。 同様に、他の司教、司祭、修道士、修道女、さらにさまざまな地の天使がいて、おのおの手にした水晶の水入れに殉教者たちの血を集め、神に向かって歩んでくる霊魂にそれを注ぐのでした」


『ファティマ 第三の秘密』教皇庁教理省 カトリック中央協議会 よりの引用の挿入終り






ファチマの聖母マリア

第三の秘密は大懲罰を明らかにしている


The Fatima Crusader, Isuue 77, Summer 2004より

ポール・クレイマー神父、B.Ph., S.T.B., M. Div., S.T.L.(Cand.)



ヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿は、2000年6月26日の後に、教皇ヨハネ・パウロ二世の個人的な友人との私的な会話の中でこう訊ねられた:「第三の秘密全体はあなたの新聞記者会見の中で明らかにされましたか?」ラッツィンガーは「確かにあれは秘密のすべてではなかった」と認めた。



故マラキ・マルタン神父はアート・ベル・ショー(1998年)における彼の最後のインタビューにおいて、ファチマの第三の秘密には何かぞっとするような、そして恐ろしいものがあると述べた。それは諸国民の絶滅、核戦争あるいは教会の流血の迫害ではない。それははるかに悪いあるものである。教皇ピオ十二世は1945年に次のように宣言されたとき、このことに言及された。「世界は恐るべき深淵の縁にいる...人々は人類が決して見たことがなかったようなそのような苦しみのために準備を整えなければならない。」

第三の秘密は黙示録的であり、そしてそれゆえに聖書の終末論的なテキストに一致する。
これは、ラッツィンガー枢機卿が、秘密は'novissimi'--最後の事ども--に関係し、そして聖書において明らかにされていることに一致するということを明らかにしたとき、指摘したことである。


教皇ヨハネ・パウロ二世はドイツで第三の秘密について訊ねられたとき、こう述べられた:
「われわれはそれほど遠くはない未来に大きな試練、われわれの生命を放棄する準備するようにわれわれに要求するであろう試練を堪え忍ぶ準備をしなければならない...」


教皇ヨハネ・パウロ二世は、カロル・ウォイティラ枢機卿の時に、1976年合衆国訪問の間にこの主題を詳しく述べられた。
「われわれは今人類が経験した最大の歴史的対決に直面している。私は広範囲のアメリカ社会あるいは広範囲のキリスト教共同体がこのことを十分に理解しているとは思わない。われわれは今 教会と反教会、福音と反福音との間の最終的な対決に直面している。註2)それは教会が引き受けなければならない一つの試練である。」



これはファチマの第三の秘密の中核である。
地獄のすべての狂暴さが王たるキリストをその王座から引きずり下ろし、そしてその場所にサタンを据えようと試みるために、地上に解き放たれるであろう--それはバベルの塔--黙示録的な「バビロンの神秘」--の形で表された「不法の神秘」の最高潮への到達であろう:すなわち、反教会、「異端の教会」そしてその「教皇」である。
古代ローマの迫害は、われらの主が聖なる福音の中で予告された、そしてピオ十二世が非常に近いと予告されたこの大きな「苦難」において起こるであろう恐怖に較べるらなば見劣りがするであろう。
これが第三の秘密の中心、中核である





ロシアの奉献は、古代の教父たちの時代以来聖人たちの預言において普遍的に予告されて来た大懲罰の苦難を予防するために、間に合うようには為し遂げられないであろう。われらの主イエズス・キリストはこの世の君はその王座から投げ出された、それゆえに、彼はその王座を再び確立することはできないであろう、と告知された。サタンの王国はそれが十分に建てられ得る前に破壊せられるであろう。そしてこのようにしてバベルの塔は決して完成しないのである。

聖書において、そしてファチマの第三の秘密において予告された大背教が、ローマから逃亡しなければならないであろう、そして奉献をもたらす立場にはいないであろう教皇ヨハネ・パウロ二世の直ぐ後の後継者の教皇在位の間に、アシジの聖フランシスコによって予告された反教皇の下で、はっきりとした形を取るであろう、というのが1970年以来カトリックの預言を研究した後に私が到達した結論に基づく私の信念である。私見によれば(そして聖痕のあるローマのアントニオ・ルフィニの預言によれば)、世界の全司教と一致してマリアの汚れなき御心にロシアを最終的に奉献するであろうのは、ヨハネ・パウロ二世の後の二番目の教皇の後の次の教皇であろう。ロシアは回心するであろう。マリアの汚れなき御心は勝利するであろう。大多数のロシアの伝統主義者たちがカトリック教会に入るであろう。ロシアは回心し、教会はその伝統に立ち戻るであろう。平和が訪れるであろう。しかしこのことは懲罰の後に起こるであろう。




1991年春の少し前に私がファチマを訪問したとき、聖母はシスター・ルチアに(ファチマの非常に信頼すべき筋によれば)、第三の秘密が一つの主要な戦争の間に明らかにされるでしょう、と明らかにされた。第三の秘密は、ヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿すらがドイツ語を話す一人の人物、多年にわたる教皇ヨハネ・パウロ二世の個人的友人(私は個人的に彼を知っている)--彼は枢機卿に第三の秘密「全体」だとされた公表について詰問した--との私的な会話の中で認めたように、まだ完全には明らかにされていない。ラッツィンガーはこう答えた:「確かに、あれは秘密のすべてではなかった。」第三の秘密は明らかにされるであろう。しかし、それは遅いであろう。すなわち、次の世界大戦が勃発した後であろう。

異教的礼拝による諸々のカトリック教会や聖域の神聖冒涜そして真の宗教の偽りの宗教との混合は近い将来に起こるであろう懲罰のしるしである。聖域、神の聖なる場所の神聖冒涜は厳密な正義における直ぐさまの罰を要求する不信仰という神聖を汚す行為、そして冒涜的な行為である。それゆえに、神は正しくあり続けるために、現在カトリックの諸々の教会や聖域において行われている神聖を汚す忌むべきことがらが存在することをもはや忍耐なさることはできないのである。

神が次のように宣言なさるのはまさにこの種の罪に対してである:

「だから、私も怒ってことを行う。私の目はあわれみを知らず、人を惜しむことをしない。彼らは、大声で私にこいねがうだろうが、私はもう彼らのいうことを聞かぬ。...そこで私も、いま、目にあわれみをおかず、惜しみをしない。私は彼らの上にその生活を負わせよう。」(エゼキエル 8:18, 9:10)

脚注::

(1) 1980年11月に Stimme des Glaubens において報告された。

(2) "Notable and quotable," Karol Cardinal Wojtyla, Wall Street Journal, Nov. 1978.

2004/09/05 三上 茂 試訳




フォトンベルトとファティマ大預言 コンノケンイチ・著



フォトンベルトとファティマ大預言jpg



  1917年、ポルトガルの一寒村、ファチマに住む3人の幼女の前に聖母マリアが6回にわたって出現し、最後の日には10万人の大観衆の前で大奇跡を現出させ、当時のヨーロッパ全土に一大センセーションを巻き起こした。しかもその際に「人類の未来にかかわる3つのメッセージ」が託された。これが有名な「ファティマ予言」である。

  第一と第二のメッセージ(予言)は、25年後の1942年にバチカンから発表された。第一次世界大戦の終結と第二次世界大戦の勃発に関するもので、いずれも細部にいたることまであまりにもピタリと的中していた。
  そこで人々は、第三の予言の発表を待ち望んだ。なぜかこの予言だけは、1960年まで公表してはいけないとメッセージされていたからである。
  だが、予言は1960年になっても発表されなかった。

  第三の予言を読んだ法王パウロ六世が、内容の重大さにショックを受けて卒倒し、「これは人の目に絶対に触れさせてはならない。私が墓の中まで持っていく」といって、発表を差し止めてしまったからである。
  その後も第三の予言は秘密文書として、バチカン宮殿の奥深く、今も厳重に秘匿されており、そのため「ファティマ第三の秘密」ともいわれている。


  事件の発端は、ヨーロッパの西、ポルトガルの真ん中にある小さな村ファティマ。主役は羊飼いの家の末娘で、10歳になった女の子。名をルシアという。脇役はルシアのいとこにあたる9歳のフランシスコとヤシンタ。とりたてて特徴のある子たちではない。

  事件は1917年5月13日、快晴の昼日中に起こった。ルシアたち3人は羊を連れて、村から2キロ先のコバ・ダ・イリアという窪地にやって来た。正午を過ぎたころ、突如、空中に強烈な閃光がきらめいた。少女たちは輝く光にとらえられ、目がくらみそうになった。
  光の中心に、小さな美しい貴婦人が出現した。彼女は子供たちに、毎月13日のこの時刻に、6回続けてこの場所に来るように告げられた。


  3人は秘密にすることを約束したが、一番小さなヤシンタは母親に問い詰められて話してしまった。そのため3人は村中の笑い者になった。


  2回目の6月13日には、それでも噂を聞いた村人が6~70名現場に来た。彼らはルシアが目に見えない存在に話しかけている様子を、まるで別の世界に引き込まれて行くような気持ちで観察した。ブーンという蜂の羽音のようなものが聞こえた者もいた。ルシアの対話が終わったとき、目撃者全員が爆発音を聞き、小さな雲がヒイラギの木のそばから昇って行くのを目にした。


  3回目の7月13日には、目撃者は5千人にふくれあがった。この3度目のコンタクトでは、時期が来るまでは口外してはならないという命令とともに、重要なメッセージが預言された。これが「ファティマ予言」である。
  内容は25年後に、バチカン当局から次のように発表された。

1 第一次大戦は終わりに近づいたが、このままでは次の法王(ピオ11世)のときに大きな不幸が起こる。
2 次の大きな不幸の前に、夜間に不思議な光が見える。これは神の警告のしるしである。
3 ロシアは誤りを世界にまき散らし、戦争をあおりたて、多くの国が滅びる(この後に重要な「第三の予言」が続くのだが、徹底した秘密となっている)。



第二の予言は、1938年1月26日の夜9~11時にかけ、西ヨーロッパ全域において異常なオーロラに似た色光が輝いた。これは説明つかない現象として、当時のヨーロッパ諸国の新聞にも大きく報じられた。
  この不気味な光に呼応するかのように、ドイツではヒトラーが台頭し、まもなく第二次世界大戦の火ぶたが切られた。


  4回目の8月13日、今度は2万人の群衆が現場に集まった。しかし、ルシアたち3人は姿を見せなかった。世間を惑わすという理由で、官憲によって投獄されていたからだ。だが、子供たちの不在のまま、雷鳴がとどろき、閃光がきらめき、ヒイラギの木のそばに小さな白雲が出現、数分後青空に上昇して溶け去った。
ただし、4日後の8月15日午後4時ごろ、ルシア達3人が現場以外の場所で羊番している時、聖母が出現した。
聖母は迫害に対する3人の勇気を誉めたと同時に、約束を守らなかったことは当人たちの責任とし、10月13日の予告された奇跡の縮小を告げた。




  5回目になると、群衆は3万人にふくれあがった。その中には、奇跡をあばこうと目を光らせている3人のカソリック司祭もいた。
  正午、明るく輝いていた太陽が急に光を失い、周囲は黄金色に包まれた。青空のかなたから銀白色に輝く卵型の物体が現れ、ゆっくり東から西へと飛びながら、子供たちのいるヒイラギの木の上に静止すると、白雲が生じて物体を包みこんで見えなくなった。
  人々がこの奇妙な光景に目をこらしていると、白い綿状のものが空から降ってきた。人々が手を伸ばしてつかんだり、帽子で受けると溶け去ってしまった(註、これは エンゼルヘヤー といわれる典型的なUFO付帯現象である)。
 

貴婦人とルシアの間で会話が始まり、10月13日の奇跡の再現が繰り返された。15分後、「お帰りです」というルシアの声が響いたとたん、また銀白色の卵型物体が出現し、青空にゆっくりと上昇して消えていった。
  一部始終を目撃した司祭は、銀白色の球体を「あれは天国の乗り物で、聖母を王座からこの荒野に運んできた」と語った。以来、貴婦人を「聖母マリア」、卵型物体は「聖母の乗り物」といわれるようになった。



  最後の6回目の出現は、予告どおり10月13日に起こった。その日は老若男女、あらゆる階層の人々が現地につめかけ、その数は7万から10万人に達したという。中にはヨーロッパの主要新聞の記者や科学者なども含まれていた。その日の奇跡現象は今も語り継がれるように、さすがに凄い。

  聖母の出現に先立って閃光がきらめき、付近一帯にはバラの花のような奇妙な甘酸っぱい芳香がただよった。子供たちとの対話が始まったが、群衆には聖母の姿は見えず、声も聞こえなかった。ただ、子供たちの顔が、うっとりとなっていく変化を目にしただけだった。

  聖母が子供たちと話し終え、コバ・ダ・イリアを去って行くとき、予告されていた奇跡現象が起こった。その日は、あいにくの土砂降りの雨だったが、突然ピタリと止み、厚い黒い雲が割れて青空が見えた。と、そこから銀色に輝く見慣れぬ太陽が出現したのである。周囲にはさまざまな色光が放射され、火の車のように回転している。
  かがやく太陽のようなものは回転を中止すると、水平に移動、また元の位置に戻ると再び回転を始め、凄まじい色光を発する、という行動を3回くりかえした。と、突如として赤く輝いたと思うと、今度は群衆の図上に稲妻のようにジグザグに落下してきた。群衆は恐れおののき、ほとんどの人は最後の時がきたと思い込み、自分の犯した罪状を告白し始めた。しかし、太陽は再びジグザグに上昇し、青空に納まって行った。
  見慣れぬ太陽が消え去り、本物の太陽が輝き始め、我に返った群衆は仰天した

。自分たちの衣服をはじめ、木々も地面も完全に乾燥していることに気づいたからである。

  この奇跡は、ファチマから数10キロ離れた場所でも大勢の人に観察された。

  物体はファチマを中心とする半径40キロの範囲で目撃された。少なくとも直径千メートルぐらいの巨大な物体だったらしい。 ともかく予告どおりに大奇跡は起こり、事件はポルトガルだけではなく、全ヨーロッパに大反響を巻き起こした。日本(大正8年)の新聞にも、ヨーロッパにマリア様が出現して大奇跡が起こったと報道されている。


  ファチマの奇跡は百パーセントの確率でUFO現象と断定できる。


したがって
ファチマの奇跡現象は 異星人による演出となり、10万人の大群衆の目前で異星人のメッセージが人類に手交されたという、史上空前ともいえる希有な事件だった。しかも当時の新聞記者に写真まで撮られているのである。

現代なら大変な騒ぎになっていたろう。

  ファチマ事件で重要なことは、メッセージの内容が聖書の「預言書」と細部まで一致していることと、人類を『わが子よ』と表現していることである。


これらを踏まえて全体を俯瞰すると、次のようになる。


 ・ ファチマ事件はUFO現象(異星人の演出)である。
 ・ 奇跡現象を起こした超知性体(異星人)は、人類のルーツとなる聖書の「主」と同存在 だった。
 ・ ファチマ奇跡は、聖書に預言される『終末』のリハーサルだった。


  光の乱舞は戦争を表わし、現在(当時は第一次世界大戦のさなかだった)のような世界大戦は3度起こる。

そして、

最後の第三次大戦(核戦争)直後には、この太陽のようなものが戒めとなって、みなの頭上に火の玉となって落下するであろうと、このような素朴なイメージで ファチマのUFOは人類に警告していたのである。
 








-------------コンノケンイチ氏の所説の 解説文(裏ジャーナル)を以下にご紹介です。------------


では、なぜケネディはアポロ計画の真相を国民に公表しようとしたのだろう?

ジョン・F・ケネディについては、死後どのように言おうとも、最も高く評価された第一級の大統領だったことに変りはない。
彼はニューフロンティア・スピリッツ宣言に見られるように、独立的傾向の強い人間で、明らかにサタン「超国家権力」に属する人間ではなかった。

だからといって、従来の常識を覆すアポロ計画の真相暴露を行おうとするには、確固たる信念の裏打ちが必要だったろう。その裏打ちとは、バチカンから送られたという「第3の預言」を読んだという推測である。それを裏付ける記事がある。

イタリアの日曜紙「オッセルバトーレ・デラ・ドミニカ」の1978年10月10日号掲載のバチカン高位聖職者コラード・バルドウイッチの「第3の預言」への 次の様な言及記事である。

「この件に関し、秘密を暴露する軽率な記事や印刷物が出回りだしたのは、(世間の噂によれば)原文が1961年ごろアメリカ大統領とソ連最高指導者のふたりにしらされてからのことである....」

「第3の預言」が外交官筋から漏洩文書として1964年10月15日、ドイツのシュツッガルトの「ノイエス・オイローパ」紙によってすっぱ抜かれた。 ただし核心部分は消去されていた。



漏洩文書の内容(「秘匿されていた未公表部分の第3の預言」)は 次の通り。


「21世紀の初め、大いなる罰がすべての人類に下ることでしょう。


人類は多くの罪を犯し、今なお自らに与えられた天の恵みをないがしろにしています。
秩序が支配している場所はどこにも見あたりません。

サタンは国家の最高部さえ支配し、物事の成り行きを決定しているのです。
サタンは偉大な科学者の心をそそのかし、人類の大半を数分で滅ぼす兵器を発明するでしょう。
もし、世界と教会の指導者たちがこれを阻止しなければ、後はこの私が引き受けます。
そして、私は父なる神にお願いし、大いなる罰が人類に下るままにするでしょう。


そのときはよろしいですか。神はノアの洪水より厳しく人類を罰し給うのです。
そのために偉大な者、力のある者も、取るに足らぬ者や、弱い者とまったく同様に非業の死を遂げるでしょう。

教会にとっても、彼らの間をサタンが闊歩することでしょう。
ローマでは大きな変化が次々と起ります。
腐ったものは倒れ、倒れたものは二度と起き上がれません。
教会は暗黒に包まれ、世界中が突然激しい恐怖に陥ります。

それはそれは大規模な戦争が後に起るでしょう。


その時は火と煙が天から降り注ぎ、
海という海の水は蒸発し、
水蒸気の泡が空中に激しく吹き出し、立っているものはすべて崩れ落ちるのです。

次から次へと数え切れない人々が何千万、何億人と非業の死を遂げ、
生き残ったものは死んだ者を羨むことでしょう。

どこを眺めても土地は苦悶と悲惨さばかり、国という国は廃墟ばかりです。

さあ、ご覧なさい。

その時は迫り、地獄の縁は広がるばかり、
そこに入ったが最後、二度と救われることはありません。

善人は悪人とともに、大きい者は小さい者とともに、教会のプリンス(枢機卿、大司教、司教)はその信徒と共に、この世の支配者はその民とともに非業の死を遂げるのです。

いたるところで、思慮なき者やサタンの取り巻きのために大量死が起りますが、
そのときはサタンだけがこの世を支配しているのです。

それはいかなる国の国王も帝王も、枢機卿も司教も決して待ち望まないときとなるでしょう。

そのときは私は御父の計画どおり、罰と復讐を加えるためにやってくるのです。

しかしながらその後、すべてに耐えて生き残った人々がまだ生きているならば、彼らは新しい神とその栄光を声高く褒め称え、この新しい神に仕えることでしょう。

私は、わがイエス・キリストの教会を心から信ずるすべての人々、すべての真実なるキリスト教徒、現代に生きる者すべての伝道者に呼びかけます。

もし人類が改心せず、この改心の動きが上に立つ者から、この世と教会を指導する者たちから起るのでなければ、時の中の時が、あらゆる終わりの中の終わりがやってくるでしょう。

ですが、何とも不幸なことに、もしこうした改心が起らず、きっとすべてが今のままか、なお一層悪くなるとすれば、どんなことになるでしょう。

さあ我が子よ、このことをはっきりと告げ知らせるのです。

そのような終わりの時も、私は最後まであなたのそばにいて助けてあげましょう。」



----1964年10月15日、ドイツのシュツッガルトの「ノイエス・オイローパ」紙掲載の 第3預言 引用終り



・・・第3の預言の恐るべきことは、サタンが偉大な科学者の心をそそのかし、人類の大半を 数分で滅ぼす兵器(核爆弾)を発明、大量に使用されると語られていることである。

これはまちがいなくハルマゲドン(核戦争)を指している。



だが、実は「ノイエス・オイローパ」紙によってすっぱ抜かれた文章には、肝心なことが抜け落ちている。
ファティマの聖母は、こうルシアに語っている。

「私たちがどこから来たのか、だれであるのか、その目的を話します」と。

パウロ6世が米ソ両首脳(ケネディとフルシチョフ)に知らせた文書には、これらのことが具体的に述べられていたはずである。

(J.F.ケネディが演説で読み上げる予定だったある草稿が見つかっています。


ケネディjfk



わがアメリカ国民、そして世界中の皆さん、
今日、我々は新しい時代への旅に出発します。
人類の幼年期である、一つの時代は終わりに向かい、
新たな時代が始まろうとしています。

私がお話しする旅とは、計り知れない試練に溢れていますが、
我々の過去のあらゆる努力は、成功するために
我々の世代を比類なくサポートしてきたものと私は信じます。

この地球の市民である我々は孤独ではありません。
無限の知恵を備えた神は、我々自身のように、他にも知的生命体を宇宙に住まわせてきました。

そのような権威に対して、私はどのように述べることができるでしょうか?
 1947年、わが軍は、乾燥したニューメキシコの砂漠で、起源不明の飛行船の残骸を回収しました。

まもなく、我々の科学により、この乗り物は、はるか遠くの宇宙空間からやってきたことが分りました。
その時以来、わが政府はその飛行船の製造者達とコンタクトを取ってきました。

このニュースはファンタスティックで、実際、恐ろしく思われるかもしれませんが、
皆さんは過度に恐れたり悲観して捉えることのないようお願い致します。
私は大統領として、そのような存在が我々に対して無害であることを皆さんに保証いたします。

むしろ、全人類の共通の敵である、圧制、貧困、病気、戦争を克服できるよう、
彼らはわが国家を助けてくれることを約束しております。
彼らは敵ではなく、友人であると我々は判断いたしました。

彼らとともに、我々はより良き世界を創造することができます。
未来に障害や誤りが生じないかどうかは分りません。
我々はこの偉大なる土地で暮らす人々の真の運命を見つけたものと信じます。
世界を輝かしい未来に導くことです。

なぜ彼らがここにやって来て、なぜ長期間に渡って我々のリーダー達が彼らの存在を秘密にしてきたのか、近く、皆さんはそれらについてさらに知らされることになるでしょう。

私は皆さんに、臆病にならず、勇気をもって未来を見ていくようお願い致します。
なぜなら、地球に存在した古代の平和のビジョンと全人類の繁栄を、
この我々の時代に、我々は達成できるからです。

あなた方に神のご加護のあらんことを




--------このようにケネディはUFOの存在、宇宙人の情報、アポロ計画の目的を公表しようとしていましたが、
この原稿は読み上げられることなく、暗殺されてしまいました。)



1950年代はアメリカやヨーロッパ全土にわたり、かつてない猛烈なUFOウェーブが吹き荒れた。
それゆえ、UFOという名称も生まれたわけで、それ以前は概念さえ存在しなかったな時代に、「第3の預言」を公表しても どうにもならなかったでしょう。


そしてケネディ大統領が登場し、アポロ計画が高らかに発表された。

当時はファティマの聖母が告げたように「第3の預言」に直結する「月のUFO基地」の実相を公表すれば、それを人々がもっとも理解しやすい時代と環境下にあったと云えます。


しかし、ケネディ大統領は人々の見守る中で暗殺され、大統領職はリンドン・ジョンソンへ引き継がれた。
以降は軍産複合体の利益だけを追求する泥沼のようなベトナム戦争へと突入し、アメリカは衰退の道を転がり落ちることになりました。

こうして「第3の預言」、「ケネディ暗殺」、「月の異星人基地」の実相が閉ざされてしまい、
ファティマの聖母が警告預言した人類再生への道も閉ざされてしまったのでした。


------http://uramedia.blog119.fc2.com/blog-entry-36.html 裏ジャーナル要約して引用 終り






月のUFOとファティマ第3の秘密 コンノケンイチ・著  徳間書店 1993年2月刊




月のUFOとファティマ第3の秘密



なぜマリアはファティマの地を選んだのか?


  それにしても、1917年の大奇跡の舞台に、無名に等しいポルトガルの一寒村ファティマがなぜ選ばれたのだろう?
  はっきりしていることは、大奇跡によってファティマの名が瞬く間にポルトガル中に、ついでヨーロッパ中に知れわたり、まもなく世界中で崇められるカソリックの聖地になったという事実である。そこには何らかの意味が必ず隠されていたはずである。
  よく知られている定説としては、イスラムの預言者モハメッドの娘のファーティマのことで、ファーティマはイスラム圏では理想の女性とされ、とくにシーア派では彼女の手をかたどった護符を愛用し、これを「マリアの掌」と呼んでいるという。
  そして10世紀になって、北アフリカのシーア派のイスラム王朝の始祖アル・マブティーがファーティマの子孫と称し、そこにファーティマ王朝が設立された。その一つのアルカセル城の提督の娘にファーティマ姫がいた。
  ファーティマ姫はゴンザーロの率いるキリスト教側の襲撃にあって捕らえられ、キリスト教に改宗することを条件にゴンザーロと結婚させられた。しかし、姫は結婚後に若くして死ぬ。ゴンザーロは悲痛のあまり修道士となって妻の亡きがらを納める修道院を造った。
その修道院の周りに小さな集落ができたのが現在のファティマだという。

  最近、山内雅夫氏著『聖書の呪い』(カッパブックス)を読んでハッとした。その本の最後には次のように述べられていたからである。

  聖母が降臨したファティマという地名は、ひじょうに象徴的だ。ファティマの名前の由来は、アラビアの月の女神なのだ。  ファティマはもともと宇宙創造の女神であって、その意味は、太陽の根源、エデンの園の木、月と宿命を意味する太母神にほかならないのだ。

  なぜファティマが1917年の大奇跡の地に選ばれたのか。ファティマという名前の由来は宇宙創造の女神、つまり「月と宿命」を意味する「月の女神」だったかららしい。 ファティマで聖母がルシアに「第3の予言」を授けた際に、「10月の奇跡には、私が誰で、何の目的で、どこから来たかを教えます」と告げた。
  「誰?」とは人類のルーツとなる地球外超生命、「どこから来たのか?」は「天界」つまり彼らの前哨基地「月」からで、ファティマに出現した聖母マリアはまさに「月」と宿命を意味する「月よりの女神」を示唆、象徴していたわけである


 人類を成人させるためのプログラム

  神の名は宗教によって違う。しかし、その名前がどうあれ、それが指し示している、ある同一の至高の存在がある。それは人間の祈りを聞く人格神だと思う。これは宇宙体験が与えた確信だ!    ―― アポロ10号、17号のジーン・サーナン 

月から帰還した宇宙飛行士たちの高邁な表現に接すると、彼らはみな敬虔なクリスチャンで、哲学書などを読みふけっていると思うだろうが、彼らの大部分は陸軍や海軍の士官学校出身で、人文系文化に関する知識はハイスクール卒業生の平均レベルだといわれいている。

  思索するよりも体の訓練を重視する技術系、あるいはスポーツ系の人たちと思えばよい。
  その人たちがみな「有神論者になった」というように、月に行って人生を根底から変えるようなインパクトを体験した。

  月でいったい何があったのだろう?  短期間でアポロ飛行士のようにみなが一様に極端なインパクトを受けた例はかつてなかった。
  言うまでもない。月で「地球外文明」の活動を現実に目撃したからで、巨大極まりない異星の飛行体が、人類テクノロジーではとても及ばないような超航法で飛び回るのを見れば、そのショックは想像を超えるものがあるだろう。
  まさに彼らは神(サンタクロース)を見たのだ。


私もジョンソン宇宙センターから大量に入手したアポロの月面スライドを大画面で見ていると、実際に背筋が寒くなってくる。そこには想像以上に多くのUFO(光体)が飛び交っているのが確認される。しかし、小さな光体写真では一般の人は興味を示さないと思うので紹介しないだけである。
  月の裏側を初めて肉眼で見てきたアポロ8号のフランク・ボーマン船長は、第一声で「サンタクロースを見た」とヒューストンに送信してきた。

  その状況は1989年11月20日、テレビ朝日「水曜スペシャル・満月と宇宙の謎」でも放映された。
  番組中、インタビューを受けたジム・アーウィンは「サンタクロースは地球外文明を意味する暗号」であるとハッキリ肯定していたのに、何のニュースにもならなかった。彼らは固く口止めされているためアメリカ国内では話せないことも、日本は遠いのでわりと気楽に秘密を明かしているのだ。それでも日本人は誰も問題にしない。

  アポロ飛行士たちは、月の異星文明の活動を確認しただけではない。大事なことは、月における宇宙生命(神)の強烈な思念エネルギーを、各人の脳がキャッチしたらしいことだ。それは「人間の祈りを聞く人格神」という彼らの言葉に共通して表現されている。
  彼らが撮ってきたUFOの写真と彼らの言葉とを総合して解釈すると、どうやら月は聖書の「ゴッド」と総称される「宇宙生命」の人類監視センターだったようである。


  月の引力に象徴されるある種のエネルギーが、人類の精神構造に深く関与してきた事実は、最近の研究でも証明されつつある。そのようなデータがA・L・リーバー著『月の魔力』には豊富に提出されている。
  こう考えると、テクノロジー的に増幅された思念エネルギーが地球に向けて常時放射され、人類史を意識的に誘導してきた――というような驚倒すべき結論に至らざるを得ない

  そのような観点から聖書をよく読めば、なるほどとうなずける記述が非常に多く存在する。

  テレパシーによる言葉の伝達はもちろん、たとえば聖母マリアのホログラフを見せるくらいのことは、現代科学の延長線上においても可能ではないだろうか。ましてや、聖書のゴッドのすることだから‥‥。
  そしてこのゴッド(神)は、時には強力な介入も行なったようで、その一端がツングース大爆発やファティマの大奇跡なのだろう。したがって、聖書とは「人類へ手渡された教育書」と解釈できる。そのエンディングが未完の人類の「終末」となろう。

 予言的中率は100パーセント

  日本人でも聖書を知らない人はいないと思うが、宗教観の違いで誤解も多く、世界の人が常識とする最低限の知識さえ欠落しているようである。まず聖書に対する日本人の誤解から正しておく。

 1.聖書はキリスト教の正典ではない。

  日本人は聖書をすぐにキリスト教と結びつけるが、旧約聖書はキリスト教の発生以前に書かれたもので、直接的な関係はない。おおまかにいえば「旧約」プラス「タルムード」がユダヤ教、「旧約」プラス「コーラン」がイスラム教、「旧約」プラス「新約」がキリスト教と考えてよい。

 2.聖書は宗教書ではない。

  カソリックでは、聖書を歴史書、教訓書、預言書、律法書、諸書の5つに分類している。また、聖書は1冊の本ではなく、それぞれが独立した書物(旧約39、新約27)をまとめたもので、書かれた年代や著者も別々である。

 3.聖書がユダヤ人だけを選民として、他はゴイム(豚)と同等の劣等人種としている
   が、それはイスラエル人のことを言っているのではない。


  ユダヤ人というとアインシュタインやキッシンジャーなどの白系人種を考えがちだが、アーサー・ケストラーによると、本来のユダヤ人とはスファラディといわれる系統で、世界各地に分散され、日本人のルーツにも色濃く入っていると言う。

 4.聖書は単なる伝承ではない。

  聖書に書かれていることについて考古学者が発掘などの実証的方法で取り組みだしたのは19世紀からで、今日まで着々とその成果が積み重ねられている。真実性が疑われていたバベルの塔やイエリコの町、アブラハムの出生地ウルの実在、ノアの大洪水の記述などが次々と証明され、今では聖書の記述は歴史的真実というのが常識となっている。 もちろん、聖書の記述すべてが科学的に解明されたわけではない。エゼキエル書に述べられているUFOとしか思えない記述や、モーゼに代表される奇跡現象などは、神学的にも解明不可能とされている。

 5.聖書の中で「預言書」が重要な位置を占めている。

  特に旧約の時代には、エリア、イザヤ、ダニエルといった不思議な預言者たちが次々に登場して、未来に起こる出来事を予言し、その的中率の高さはノストラダムスなどの比ではない。
  新約、旧約を問わず聖書預言で面白いのは、それぞれの書かれた年代も人物も異なるのに、巨視的には同じことを述べていること、しかもそれぞれの欠落部分をジグソーパズルの断片のように補い合っていることである。つまり、聖書預言の全体は、66書ですべてが構成されているともいえるのである。

 6.聖書の「神」は、日本人の概念でいう「神」とは根本的に異なる。

  聖書のゴッドとは、本来は「ヤーウェ」すなわち「存在するもの」という意味で、「生きてある」と明確に告げている。したがって日本の神様のような「霊的」な存在ではなく「世に実在するもの」である。

 7.聖書は「人間は神によって創られた」としている。

  重要なことは「人間は動物とは異なり、神に似せて造られたもの」という概念である。

 8.聖書では「キリストの復活」が重要な意味を持っている。

  キリストは十字架にかけられて殺され、生身の体で復活した。これが何を意味しているのかといえば、「人類の終わりと復活」が現実に起こることを象徴している。
  聖書で最も大事なことは、全体を貫く終末思想で、「人類には必ず終わりが来る」と伝えている。つまり、聖書の最大の目的とは「人類の終わりと再生」を伝えることなのである。

 9.聖書の予言は100パーセントに近い確率で的中してきた。

  これは恐るべきことを意味している。つまり未完である人類終末も現実に成就されることを意味しているからである。


ゴッドの計画する「人類終末」は必ず成就すると、聖書は明確に述べているのである。


  聖書全体を貫く思想と目的が「人類終末」にかかわる予言だが、それを最もわかりやすく伝える記述が「イザヤ書」46章10~11である。


  わたしは終わりの事を初めから告げ、まだなされない事を昔から告げて言う。「私のはかりごとは必ず成り、わが目的をことごとく成し遂げる」と。――わたしはこの事を語ったゆえ、必ず起こさせる。わたしはこの事をはかったゆえ、必ず行なう。

 

人類は創られて、品種改良された!


  すでに欧米ではダーウィンの進化論はニセ科学として崩壊しつつあり、新人類の誕生は何らかの外的な干渉によるという学説が定着しつつある。

  とくに重要と思われるのが「出エジプト記」~「申命記」である。

  モーゼは目的地カナンに着くまで300万人ともいわれるイスラエルの民を引き連れて、砂漠を40年間も放浪するわけだが、昼は「雲の柱」、夜は「火の柱」と形容されるものに導かれながら、紅海を真っ二つに分けてエジプト軍の追っ手を壊滅させるなど、多くの超常現象が述べられている。

  この「雲の柱」「火の柱」という記述についてはいまだに不可解のままで、火山のことだという人もいる。しかし、40年間も噴火が続いたとは考えにくいし、「常に民衆の上にあった」と述べられている。

  ここで、旧西ドイツ政府がUFO現象調査を委託したH・オーベルト博士(フォン・ブラウンの師)が1953年に記者会見で発表したUFO目撃パターンの一部を紹介しておく。

  目撃されるUFOのほとんどは円盤型だが、巨大な円筒の物体に随伴して飛ぶ現象も目撃され、それ自体、時には巨大な雲のように見える。そして陽光下では金属製の表面を見せるが、夜間の場合は自ら発光し、色彩はスピードと密接に関連する変化を示し、加速の際は著しい。

  これらを単純に解釈すれば、ゴッドと呼ばれる宇宙生命が何らかの目的のもとにイスラエルの民に40年間も砂漠を放浪させ、他との接触を完全に絶った上で、現代風にいえば「無菌室」に入れて品種改良のごときものを行なったとしか思えない。

  しかも上空から常に葉巻型のUFOが監視し、食料は天から補給されるマナに限定されて、違反すると即座に殺されるという非情さである。
  たとえは悪いが、品種改良を目的とした羊の群れ(イスラエルの民)の番犬がモーゼで、飼い主が上空にいるゴッドという図式だ。
次の記述はその状況をよく表現していよう。

  主は彼らの前に行かれ、昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照らし、昼も夜も彼らを進み行かせられた。(出エジプト記・13章21)

  昼は幕屋の上に主の雲があり、夜は雲の中に火があった。彼らの旅路において常にそうであった。(出エジプト記・40章38) 

主の使いは、しばの中の炎のうちに現れた。しばは燃えているのに、そのしばはなくならなかった。モーゼは言った。「行ってこの大きな見ものを見、なぜしばが燃えてしまわないかを知ろう」。(出エジプト記・3章2~3)

  シナイ山を下ったとき、モーゼは、さきに主と語ったゆえに、顔の皮が光を放っているのを知らなかった。人々がモーゼを見ると、彼の顔の皮が光を放っていたので、彼らは恐れて近づかなかった。(出エジプト記・34章29~30)

  この記述は着陸したUFOと放射能らしき存在を彷彿とさせる。

  イスラエルの人々は、人の住む地に着くまで40年の間マナを食べた。(出エジプト記・16章35)

  イスラエルの人々もまた再び泣いて言った。「ああ、肉が食べたい。(中略)われわれの目の前には、このマナのほか何もない」。
 マナは、コエンドロの実のようで、色はプドラクの色のようであった。民は歩き回って、これを集め、ひきうすでひき、またうすでひき、釜で煮て、これをもちとした。その味は油菓子の味のようであった。夜、宿営の露がおりるとき、マナはそれとともに降った。(民数記・11章4~9)

  うずらの肉がなお彼らの歯の間にあって食べつくさないうちに、主は民にむかって怒りを発し、主は非常に激しい疫病をもって民を撃たれた。(民数記・11章33~34)

  聖書学者によると、マナの正体はシナイ半島からワディ・アラバにかけて山野に自生するマナ・ギリョリウの枝に付着するマナ虫の分泌物が固まったものとされる。
  「夜、宿営の露がおりるとき、マナはそれとともに降った」とあるように、たとえは悪いが、我々が水槽の魚に上から餌を撒くのと同じ印象を受けるのである。


  主(ゴッド)が日本で言う神のごとき抽象的な存在ではなく、「生きて世に在る者」と表現される「宇宙超生命」であることは次の記述でもわかる。

  火の中から語られる神の声をあなたが聞いたように、聞いてなお生きていた民がかつてあったであろうか。(申命記・4章33)

  われわれは火の中から出るその声を聞きました。きょう、われわれは神が人と語られ、しかもなおその人が生きているのを見ました。(申命記・5章24)

  彼は北斗、オリオン、プレアデスおよび南の密室を造られた。彼が大いなる事をされることは測りがたく、不思議な事をされることは数知れない。(ヨブ記・9章9~10)

  多くの人が彼に驚いたように、彼の顔だちはそこなわれて人と異なり、その姿は人の子と異なっていたからである。彼は多くの国民(くにたみ)を驚かす。王たちは彼のゆえに口をつぐむ。それは彼らがまだ伝えられなかったことを見、まだ聞かなかったことを悟るからだ。(イザヤ書・54章14~15)

  雲のように飛び、はとがその小屋に飛び帰るようにして来る者はだれか。(イザヤ書・60章8)




 脳機能の大部分がなぜ閉じられたままなのか?


  ゴッドは神であり、その人類飼育のプログラムが聖書で、総仕上げが「終末」である。ゴッドの意図するところは何だろうか?
  新約、旧約を問わず、聖書それぞれの各預言は、書かれた年代も人物も異なるのに同じことを述べ、しかも互いの欠落している部分を補い合っている。したがって、全体を通してみるとゴッドの真意の大要はつかめてくる。
  まず聖書の基本観となるのは「神は生きて世に在り、ヒトは神に似せて創られた不完全なもの」で、終末の目的は「人は神と同格になる(神の国に入る)」と明確に述べられていることである。

  筆者の拙い推理の1つだが、現在ヒトの脳構造の神秘がクローズアップされつつある。
中でも不思議なことは、脳はその機能のホンの一部分しか使われていないことである。
 使われていないという意味は、脳機能の大部分が閉じられているということで、これは進化論的に見ても、生物学的にも、遺伝子工学的にも理屈に合わない。となると考えられることは、外的な干渉によってクローズされている――という考え方だろう。
 

人類の進化をもたらす遺伝子が、すでに脳には組み込まれているのだが、何かの意志によってか、時期が到来するまではその機能が封じられている。
そこからたまに漏れ出るのが超能力といわれるもので、そういえばエドガー・ケイシーのように脳に何かのショックを受けてから超能力が発揮できるようになったという人が多いのもうなずける。
  意図的にクローズされているなら、それはいつか必ず全開される運命にある。
それが聖書のメインテーマである「人類の終わりと再生」の真の目的ではあるまいか?

そうした前提で聖書全体を読めば、多くの不可解な記述も無理なく理解できるのである。

  神は、彼らに鈍い心と、見えない目と、聞こえない耳を与えて、きょう、この日に及んでいる。(ローマ人への手紙・11章8)

  見よ、侮る者たちよ。驚け、そして滅び去れ。わたしは、あなたがたの時代にひとつのことをする。それは人がどんなに説明して聞かせても、あなたがたがとうてい信じないような事なのである。(使途行伝・13章41)

  御旨(みむね)の奥義を、自らあらかじめ定められた計画に従って、わたしたちに示してくださったのである。それは時の満ちるに及んで実現されるご計画にほかならない。(エペソ人への手紙・1章9~10)

  わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。(ヨハネの第一の手紙・3章2) 

この知恵は、この世の者の知恵ではなく、隠された奥義としての神の知恵である。世の始まらぬ先から、あらかじめ定めておかれたものである。目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者のために備えられた。(コリント人への第一の手紙・2章6~9)

  ここであなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終わりのラッパの響きとともに、またたく間に、一瞬にして変えられる。このとき聖書に書いてある言葉が成就するのである。(コリント人への第一の手紙・15章51~54)

  女の産んだ者の中で、ヨハネより大きい人物はいない。しかし、神の国で最も小さい者も、彼よりは大きい。(ルカによる福音書・7章28)


  ここで明確に述べられているように、閉じられた(眠っている)脳機能が全開すれば、人類は神に似た超能力者に一変すると聖書は語っているのである。

これはまさに、サナギが蝶に変態する以上の生物学的な変化となるが、それも一瞬のうちに行なわれるというから凄い。
 今まで人類を保育してきた脳ボックスの秘められた鍵も、なんらかのテクノロジーのもとにまたたく間に解除されるのだろう。
そうなれば、いまの人類には想像もつかない凄い超文明社会が現出されてくることになる。
 それはまさに『幼年期の終わり』(アーサー・C・クラークの小説の題名)で、やっと人類も宇宙的な「成人式」の時代へと入ることになる。


 いつ、どのように解除されるのか?

  問題は時期だが、それのわかりやすい記述が「マタイによる福音書」第24章である。
  そこでは弟子の「世の終わりはいつ、どんな前兆があるのか?」という問いに、イエスは次のように具体的に答えている。


 
多くの者が自分がキリストだといって人を惑わす。
  また、戦争と戦争のうわさを聞くが、あわてるな。戦争は起こるがまだ終わりではない。
  あちこちに飢饉が起こり、また地震があるだろう。しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。
  多くの偽預言者が起こって多く人を惑わす。また不法がはびこり、多くの人の愛が冷える。そして、それから最後が来る


 
  預言者ダニエルによって言われた荒らす憎むべき者が聖なる場所に立つのを見たならば、人々は山に逃げよ。
屋上にいる者は、家からものを取り出そうとして下におりるな。
畑にいる者は、上着を取りにあとへ戻るな。
その日には身重の女と、乳飲み子をもつ女は不幸である。
その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな艱難が起こるからである。
もしその期間が縮められないなら、救われる者は一人もないであろう。

しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう。

  その時に起こる艱難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。
そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう
またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。
また彼らは大いなるラッパの音とともに御使いたちをつかわして、天のはてから地のはて至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。

  いちじくの木からこの譬えを学びなさい。

その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる。
そのように、すべてこれらのことを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。
これらの事がことごとく起こるまでは、この時代は滅びることがない。
  その日、その時は、だれも知らない。
天の御使いたちも、また子も知らない。
ただ父だけが知っておられる。
人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。
すなわち、洪水の出る前、ノアが箱舟に入る日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。

そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。
人の子が現れるのも、そのようであろう。

  そのとき、二人の者が畑にいると、一人は取り去られ、一人は残されるであろう。
  だから目を覚ましていなさい。
いつの日にあなたがたの主が来られるのか、あなたがたにはわからないからである。
思いがけない時に人の子が来るからである。

  ちなみに「いちじくの木」とは、古くからイスラエルという国のシンボルで、これはイスラエルという国が熟してきたら‥‥ととれるのである。
  「終わり」の前に実現すべき条件があることも、多くの聖書預言は語っている。したがって、それが実現されていなければ、絶対に「終わり」は起きないことになる。その絶対条件とは、イスラエル国家の再建である。 

主はあなたを散らされた国々から再び呼び集められるであろう。――主はあなたの先祖が所有した地にあなたを帰らせ、あなたはそれを所有するに至るであろう。(申命記・30章3~5)

  見よ、わたしは、わたしの怒りと憤りと大いなる怒りをもって、彼らを追いやったもろもろの国から彼らを集め、この所に導き帰って、安らかに住まわせる。(エレミヤ書・32章37)

  仮借のない迫害にさらされて2000年以上もの流浪を経た後に、とうとうユダヤ民族は1948年5月14日にイスラエル国家を再生した。ここに「いちじくの木」は最初の葉をつけたわけだが、その日付が20世紀後半の直前だったことも暗示的だった。

  それから日が経つにつれ「いちじくの木」の枝は柔らかになって、多くの葉も出てきたことは、現在の中東情勢を見ればわかるだろう。
  どうやら、盛夏も近いようである。


  「終わり日」はどのようになるのだろうか。それを聖書に見てみよう。

  主の日は盗人のように襲ってくる。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼けつくされるであろう。(ペテロの第二の手紙・3章10)

  主は言われる。「わたしは地のおもてからすべてのもの――人も獣も一掃し、空の鳥、海の魚をも一掃する。わたしは悪人を倒す。わたしは地のおもてから人を断ち滅ぼす」(ゼパニア書1章3)  主は言われる。全地の人の三分の二は断たれて死に、三分の一は生き残る。わたしはこの三分の一を火の中に入れ、銀をふき分けるように、これをふき分け、金を精錬するように、これを精錬する。(ゼカリア書・13章8~9)







古代文明の滅亡の広範な痕跡に窺える古代の核戦争



ちあきの腑臓を抉る悲痛な警世の書と観じた 岡田英男氏の『神々の記憶』の「序にかえて----核戦争が古代文明を滅ぼしたのか」の要約を以下にご紹介します。


神々の記憶



◆人類の文明は一度寸断されている!

1945年8月6日、午前8時12分、広島上空で一発の新型爆弾が炸裂した。一瞬の閃光で、実に二十五万人が即死した。三日後、同じ爆弾が今度は長崎の上空を襲った。この新型爆弾の威力のために、日本軍は昭和天皇の聖断により、無条件降伏した。この新型爆弾こそ、米国が実用に踏み切った原子爆弾、「核兵器」だった。
私たち日本人は「核兵器」攻撃を体験した最初の人類である。戦後、われわれ日本人はそう思い込んできた。

だが、近年、太古に核兵器の洗礼を受けた人類がいるという説が急浮上した。
太古の核戦争説を主張しているのは、英国の古代学者D・W・ダヴェンポートとイタリアの古代学者E・ヴィンセンティの二人であった。モヘンジョ・ダロの発掘物やカッパドキアの地下の探索から、この説に到達したのだった。

20世紀の中頃ぐらいまで、人類は神をおそれぬほどの自信と確信に満ちて、”近代文明”を推し進めてきた。人類は文明を発展させていきさえすれば、神の領域に迫るような、生命操作なども手中に収めることができる。そう、確信していた。

だが、20世紀の最終ラウンド、人類のこうした自信は脆くも崩れた。
研究を進めれば進めるほど、この世を織りなす総ての物質に、そしてその構図に、あまりにも見事な配慮とバランスが見られることがわかってきて、科学者自身が、
この世には人知を超えたものの存在がある(注 ちあき)と考えるようになってきた。

(注 ちあき DNAに収められたすべての遺伝情報は、必然でも偶然でもなく、明らかにデザインされたものなのだ。
ヒト・レニン遺伝子の解読に世界に先駆けて成功した遺伝子工学の世界的権威として著名な筑波大名誉教授・村上和雄博士はこう述べている。

「ヒトのゲノム(全遺伝子情報)は、わずか4つの塩基で構成され、この塩基のペアが約30億個連なっている。
もしもこの塩基の配列を偶然のものとするなら、私たちひとりひとりは4の30億乗分の1という奇跡的な確率で生まれてきたことになる。そのようなことは、あり得えない。

一方それを物理的科学的法則が自然な形でもたらした結果であるとも考えることもできない。1億円の宝くじを100万回連続して当選できるとは考えられないように。

そうであれが、残る結論は、この塩基の配列は『デザインされたものだ』。私はこの事実を知ったとき、細胞の誕生や、その後の生物の進化が、単なる偶然だけでできあがったとはとうてい考えられなかった。
そこには、サムシンググレード(偉大なる何か)としか呼べない、人知を超えた不思議な働きがあると悟った。」 

インテリジェント・デザイン論に立つ科学者たちは『神』という言葉は使わない。
単に、サムシンググレードとか。知的デザイナーという言葉を使うだけである。

世界と生命の成り立ちを詳しく研究していたら、その過程で知的デザインの存在、知的デザイナーの存在が発見され、その存在をどうしても否定できなく成ってしまったのが実状である。村上博士のように。

 久保有政 著 『天地創造の謎とサムシンググレード』P66~P69 要約して引用)



人類の歴史観もそうなのだ。私たちは類人猿から進化し、一歩一歩学習を重ね、その壮大な集積のもとに、今日のめくるめくような高度な文明を築いてきたと信じてきた。
だが近年、歴史学においても、歴史の”常識”はつぎつぎとくつがえされている。

さまざまな史実は、人類の文明が一度、大きく断ち切られたことを物語っている。
その原因は当時の人類が生み出した核兵器だという。

ダヴェンポートとヴィンセンティによれば、 「サンタクロース」監視下に、核戦争による人類の粛清が起きたのは、およそ紀元前2000年ごろ と特定している。



◆古代人はなぜ地下都市にこだわったのか

英国のグラハム・ハンコックは『神々の指紋』で、人類の歴史のごく初めにすでに高度な文明が存在しており、しかもその文明は一度、跡形もないほど破壊され、崩壊したしたことを力説している
今日、知られている古代文明のなかにも明らかに核戦争で滅びた痕跡をとどめるものがいくつも数えられる。

古代人はなぜ、執拗に、カッパドキアをはじめとして、地下に都市を建設したのか?核シェルターを築いたと考えるのが自然だろう。
また、世界各地に伝えられる神話や伝承には、ハイテク機器を思わせる、理解できない武器や戦闘状況がよく登場する。

古代の高度文明の滅亡は事実としてほぼ定説化したといえるが、問題はその原因だ
大陸沈下説・大災害説・隕石落下説・ポールシフトによる地球環境激変説など。古代文明を滅ぼしたのは核戦争だったという説が、これまでのどの説よりも確かな根拠を持つに至った。
古今の預言者が、ハルマゲドン、終末思想---と様々な言葉で「20世紀末から21世紀初頭、人類にかってない危機が襲う」と預言している。

その危機というのは、実は核戦争による、人類の自滅行為を指しているのではないだろうか。
人類は二度までも核戦争で破滅しようとしている------。それだけは、何としてもくい止めなければならない。








カッパドキアの地下遺跡が語るもの


◆異様な荒地は何を語りかける?


カッパドキア---その荒涼足る風景


カッパドキアの異様な荒地は、見る者の心をつかむ
一年の半分以上は日照りが続き、緑ひとつない裸の土地が露出している
見渡すかぎり岩山と荒地が広がるその風景は、まさに地の果てといっていい

-------『世界超古代文明の謎』(日本文芸社 第4章 
             古代の核戦争と地球大異変 三上皓也)の「カッパドキア」説明文より

この荒野にキリスト教修道士が、洞窟修道院を築き宗教壁画を描いて、神に祈ったのは三世紀頃からと伝えられている。その洞窟修道院のさらに地下深くに、トルコの考古学者の調査が入ったのは1965年5月であった。

彼らがそこに見たのは”地下都市”と呼ぶに相応しい機能を備えた、後に”カイマクル”と呼ばれるようになった巨大地下遺跡だった。


◆八層構造に構築された驚異の地下都市構造

以下、トルコ政府の”カイマクル”報告書の引用--------------。


地下都市は、人間がそこで快適な生活を営むのに必要な機能を完全によなえていた。
まず、最重要な通気孔が、地表から150メートル以上もの深さまで、都市の中心部を貫いている。
その都市は確認されただけでも地下八階建ての構造があり、各階層は会談や傾斜した通路でつながれている。
通路と部屋の境い目のところどころには、輪状の石扉がそなえつけられていた。
井戸もあった。共同炊事場もあった。
炊事場には汚水処理の溝と、煙を通気孔に導くベンティレーションがそなえてある。
寝室、仕事場、大広間があり、三条にわかれた堂々たる地下歩道があった。



カイマクルの推定収容人口は1万5千人。1965年以降も調査は続けられ、オズコナークの6万人規模の地下都市も発見されおり、驚くべきことに各地下都市間の通行可能な 秘密の九kmもの大トンネルも発見された。未調査・未発見を含め、「カッパドキア」荒野の地下には、百万人規模の都市空間があると推定されている。


◆推定百万人を収容する地下都市は何故造られたのか!?


◆古代核戦争の被災都市カッパドキア

1980年に高橋良典(地球文化研究所)が「カッパドキア地下都市は、紀元前8世紀の核戦争で滅んだ地下都市の跡」という仮説を唱えた。


◆実在する古代の核実験跡?

1952年イスラエルで発掘作業していた考古学者たちが,深さ5メートルの地層から、厚さ約6ミリ約300平米四方の溶解した緑色ガラス塊を発見した。石英砂のガラス化現象だった。
1973年イラク南部の砂漠で、同じようなガラス層が見つかった。バビロニアやシュメールなどの遺跡のかなり下に薄く広がっていた。

サハラ砂漠南部で油田調査中にフランス人技師が溶解した珪土の広範なガラス層を見つけた。「ホワイト・サンズ(アメリカの原爆実験場)のものと似ている」と報告している。

溶けてガラス状になった地層は、アメリカのサンファン(グランドキャニオン近辺)やゴビ砂漠やオースオラリアの砂漠でも発見されている。サンファン郊外の地は、この地方に住むインディアンから”ガラスの都”として恐れられていた。

砂のガラス化現象が起きるには、数百万度の熱が必要だが、地球上で得られるのは熱核反応しかない。


◆古代文明を破壊した核戦争の傷跡

ブラジルのピアウイ州に、セテ・シダデス(7つの都)と呼ばれる遺跡群のなかに、建築物の遺跡を載せた岩があり、その南面が溶けてガラス状になっている。

ペルーのクスコ付近に約1.6キロ四方にわたって山の岩が溶解し結晶化している地域があり、城塞とおぼしき建造物の花崗岩ブロックは、高い放射熱によってガラス化している。

ガラス化遺跡はアメリカのカリフォルニア州・アリゾナ州・コロラド州にもある。

アイルランドのダンレアレとエニスの城塞の壁には、花崗岩が溶けた痕跡がある。

イスラエルの死海南部では、紀元前八世紀のイザヤの時代に遡る二万人規模の地下墓地で、大量の放射能が見つかった。

◆古代核戦争の証明文献 「マハ-バーラタ」

核弾頭をそなえたミサイル爆発光景の現地レポートような核戦争そのものの描写がある。
”アグネア”兵器という複数の核弾頭を”光の束”のように装備したミサイルの記述もある。

インドには「マハーバーラタ」を裏付ける痕跡がある。
ガンジス川流域のラージマハル地方の遺跡は高熱で焼け焦げ、岩石が溶けてできた塊になっている。
デカン高原の遺跡は建物内部の調度品がガラス状になっているものがある。
さらに普通の50倍の放射能をもった人間の遺骸が発見されている。

インドの古文書「ドローナ・バルヴァ」にも5万人を瞬く間に破滅させた”カピラの閃光”の記述がある。


◆モヘンジョ・ダロ遺跡の核戦争痕跡

古代核戦争を示唆する遺跡として最も有名なものとして現在のパキスタン南部に位置するハラッパ遺跡、そしてモヘンジョダロ遺跡がある。この遺跡は1921年に発掘され、その遺跡中の路地だった場所からたくさんの奇妙な人骨群(46体)が発見されたことから「モヘンジョダロ(死の丘)」と命名されている。遺跡から発見された人骨群は互いに手をつなぎ合い、埋葬されることなく、ただ路地に横たわっていたのである。それはまるで、そこで一瞬にして多くの人が命を落としたとしか思えないような、異様な光景だったのだ。

モヘンジョダロ遺骸 


そして調査の結果、人骨群はおそらく紀元前2300年〜2500年前のものであると断定されたが、一体何がこのような異常な光景を作り出したのかという答えはとうとう得られていないままである。また人骨群には時間をかけて腐ったような形跡や、野生動物に肉を食べられたような痕もないため、発掘に当たったハーグリーブズ博士も「ただ一瞬にして集団が異常な死を迎えたとしか思えない」とその印象を語っている。

また同遺跡では、後に調査に当たったロシアの科学者が人骨群の一部から通常の50倍に上る放射能を検出し、更に町の壁からは過去に異常な量の熱を一瞬にして浴びたような形跡、そして多量のガラス片(瞬間的な高熱を浴び、溶解した状態のまま固形化した物質)が発見されたため、まるで核爆発が行われたとしか思えないような異様な雰囲気を発しているのである。しかし同地域には火山もないため、そうした町を一瞬で焼き尽くす程の高熱が一体何によって作られたのか、謎は深まるばかりである。

また発見された人骨群は炭素年代測定法によって紀元前2500年頃のものであると判明したが、万が一放射能を浴びていた場合、それは確実に判別結果に影響を及ぼす為、おそらくはもっと古いものであると考える事もできるだろう。

( 世界に残る古代核戦争の痕跡 - 人類はかつて滅びたか- モヘンジョダロ遺跡の謎 )





◆古代核戦争と地下都市群

◆”トロイ戦争”(古代核戦争)と”エバートンの大火”

◆カッパドキアはほんとうに核シェルターだったのか!?

 高橋良典(地球文化研究所)は1980年代の初めに、カッパドキアの谷あいに高濃度のウランがあることを確かめ ている。 また、カイマクル地下都市の入口で、高熱のために風化した跡をとどめる岩盤を発見している。





地球大異変の痕跡を世界各地に追う!

◆核戦争によって引き起こされた「大洪水」


天が地に接近し、一日のうちにすべてのものが滅び去った。山もまた水の中に隠れた。-----岩が地面のすべてを覆い、テトゾントリ(多孔性の溶岩)がものすごい音を立てて沸騰し、赤い色の山が舞い上がった----。『チマルポポ-カ絵文書』



◆『ドローナ・バルヴァ』 核を上回る破壊兵器

  W.F.リビー「約1万四百年前、人間の痕跡が突然消え失せている」

◆ 地球大異変の証し

◆ 紀元前687年 地球は多数の隕石の衝突により地軸が10度傾いた。



ちあき 注)
本項は なわ・ふみひと氏の http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/phatima.htmlおよびURL:http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/bookstand-konno.htmlに依拠し 『月のUFOとファティマ第3の秘密』(1993年 2月 コンノケンイチ・著)・『フォトンベルトとファティマ大預言』(2007年10月16日初版 コンノケンイチ・著)の 第1章~第3章 および 『世界超古代文明の謎』(日本文芸社 第4章 古代の核戦争と地球大異変 三上皓也)・『オーパツだけが知っている---神々の記憶----超古代を襲った核戦争の痕跡』(KKベストセラーズ 岡田英男)により構成しました。

また 本稿の重要な柱のひとつである『ファティマの預言』につては、ちあきが知る限りにおいて日本国内で随一と思料する 南山大学、三上茂教授の 『ファチマの聖母マリア・ファチマの真実』をはじめとする多数の著述に幅広く網羅的に展開されているファティマ預言関連の史的業績群から引用させて頂きました。この労作無くしては、本稿は成立しえなかった。ここに 深く感謝の意を表します。

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ちあき

  • Author:ちあき
  • 白線同盟駆坂あかね様
     御賜物<KAREN>

     『 0 』 ( 2013.07.05 )

    作曲・MIDI制作 嶋 是一さん



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